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「残穢」読了後に怖さの増すホラー小説と「穢れ」の概念

読了後にも続く恐怖。小野不由美の「残穢」 読書録

最近読んだ本のご紹介をば。

私、中学生時代からホラー小説やホラー映画が好きで、今でもちょいちょい読んでます。

元来、怖がりなたちなのですが(お化け屋敷とか超苦手)、怖い話や不思議な話への興味の方が勝つタイプ。

そんな中、最近読んだホラー小説が、小野不由美さんの「残穢」。

これが、めっぽう怖い。読んでいるときも怖いが、読了後にもからみつくような怖さが続く感じ。

設定も展開も非常に面白く、ホラー小説の中でも傑作といっていい作品「残穢」のご紹介をさせていただきます。

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「穢れ」の概念。読了後にもその怖さは増す小野不由美の「残穢」

小野不由美さんのホラー小説「残穢」

小野不由美さんといえば、一番有名な小説は「十二国記」でしょうか。日本のファンタジー小説の中でも根強い人気を誇っており、大学時代、友人がどハマりしていたのを覚えています。

そういうファンタジー系も書くかと思えば、背筋も凍るようなホラー小説も得意とする小野不由美さん。私が今まで読んだのは「営繕かるかや怪異譚」や「屍鬼(藤崎竜さんによる漫画版でですが)」など。

そんな小野不由美さんのホラー小説の代表作、おすすめの作品として「残穢」を上げている人をちょいちょい見かけます。

私が「残穢」に興味が湧いたのは京極夏彦先生の「虚実妖怪百物語」の中で「実話怪談の傑作」と評されていたのを見たのがきっかけでした(参考:【感想】あの小説家、漫画家が実名で夢の共演「虚実妖怪百物語」)。

これまたホラー(怪奇ミステリー?)小説会の大御所、京極夏彦先生が傑作と評するのですから、よほど面白いに違い無いと今回手に取った次第。

「残穢」のあらすじ。すべては「岡谷マンション」から始まる

そんな京極夏彦先生絶賛の「残穢」のあらすじ。

小野不由美と同じ設定を持つ「私」のもとに「岡谷マンション」204号室に住む久保さんという女性から手紙が届きます。

その部屋の寝室から「畳を擦るような音が聞こえる」というもの。「私」はその話に既視感を覚えることとなる。

実は「私」は同じ「岡谷マンション」の401号室に住む屋嶋という女性から同様の手紙を受け取っていたのだった。

仮に204号が事故物件であるならば、401号室に怪異が起こるのもおかしな話。その逆もそう。調べてみると、両方の部屋どころか「岡谷マンション」で過去に自殺や殺人など事故物件となりうる事件は起こっていないとのこと。

もしかすると土地そのもの、あるいは「岡谷マンション」以前にあった何かが影響して、このような怪異現象が起こっているのではと「私」と久保さんは調査に乗り出すのだが。

調べるほどに、調べるほどに深まっていく、根の深さ。途中たどり着く、「穢れ」の概念。

複雑に絡み合った因果を根を探っていくうちにたどりつく、再凶の「穢れ」。。。

「残穢」は一人称語りで進んでいくモニュメンタリー(フィクションなんだけど、あたかも実話、ドキュメンタリーのように進んでいく形式)タッチのホラー小説です。

日本特有の概念「穢れ」は伝染し、残る

でキーワードとなってくるのが「穢れ」という概念。

以前読んだ民俗学の本では、日本における状態として「ハレ」、「ケ」、「ケガレ(穢れ)」と三つに分かれているのだそう。

祝祭などのめでたい状態の「ハレ」。日常をさす「ケ」。そして日常を営むエネルギーが枯渇した状態を「ケガレ(穢れ)」とするみたいです。

今でも、我々の日常として、親族に不幸があると喪中、忌中などをもうけるとともに、その間は神社に行かないということを行っています。これは人の死が「穢れ」と解釈されているから。

神道において人の死は「穢れ」とされ、それは伝染していくものと考えられていました。そのため、その「穢れ」が消えるまでの期間、人との接触などを避ける喪中や忌中をもうけたそうです(この穢れの概念に関しては人の死をどう捉えているかなど、様々な解釈があるみたいです)。

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ある程度伝染力を無くすまでに期間が必要とされるということは、「穢れ」は残り続けるものだとも考えられます。

「残穢」においてもこの「穢れ」の概念を物語の主軸に絡ませています。「岡谷マンション」における建物などの怪談やホラーにとどまらない、しつこく残り、伝染し続ける「穢れ」によって起こる根の深い恐怖が構築されています。

伝染していく「穢れ」。読了後に続く恐怖

家

「残穢」においても「穢れ」は伝染するものとして捉えられ、その様々な伝染の結果によって、主人公の「私」は多岐にわたる怪異を知ることとなります。

そしてその怪異の枝葉から幹、根へと調べ進んでいくうちに、「岡谷マンション」の怪異の元凶となる最凶の「穢れ」へとたどり着くこととなります。

この「穢れ」は伝染していくという設定は、昔大ヒットしたホラー「リング」にも通じるもの。

特に小説版の「リング」の怖さは、この物語を読んだだけで「小説に書かれている呪いに感染しているのではないか?」という気味の悪さにありました。

しかし「リング」においては、呪いが伝染するメディアとしてビデオテープが使われていたので、なんとなくですが小説内の出来事と割り切れる安心感も。

一方「残穢」において伝染されるものは、日本人の生活形態の中に組み込まれているとされる「穢れ」。当事者に接触しても、それにまつわる話に触れても無差別的に「穢れ」に感染してしまいます(わかりやすく「感染」という言葉を使わせていただきます)。

小説内においても、話しただけで障りや怪異が起こるというのが何度か繰り返されていました。

これらの構造から、読者が「残穢」を読んでいると「もしかして、この読んでいるという状態だけで、自分も穢れに感染しているのではないか?」という薄気味悪さが常につきまとうのです。

そして、小説を読み終わっても、その余韻、恐怖の残り香のようなものが付きまとい、徐々に怖さが増していく感じすらしました。

あなたが住む「家(部屋)」は前に誰かが住んでいた?

昔に比べて、現代は人の流動性の高い時代です。例えば江戸時代、都市部をのぞけば先祖代々その家、土地に暮らしているということが当たり前でした。

しかし、現代においてはマンション、借家など生活スタイルにおいて住む場所を変えていきます。

当然、マンションや借家においては、その前に誰かが住んでいたわけです。これはたとえ新築マンションや新築の家を建てたとしても、それらが建つ以前にその土地にはあなたの知らない何かがあり、そこで生活を営んでいた人がいた可能性が高いです。

その人たちは一体どういう人で、どういう暮らしをし、なぜそこから出て行ったのか。

「残穢」ではそういう現代の社会構造なども巧みに怖さの一因として取り入れています。以前読んだ三津田信三さんの「わざと忌み家を建てて棲む」でも感じましたが、人が生活を営む「家」というものはどこか得体の知れない怖さがつきまとうものです(参考:三津田信三のホラーは設定もやばい「わざと忌み家を建てて棲む」)。

いうなれば、読者の誰もが「他人事ではない世界」に巻き込まれているのです。あなたの住んでいる「家(部屋・土地)」に以前誰が住んでいて、どうなったか知っていますか?

「私」の一人称的モニュメンタリー構造がじわじわと怖い

ホラー小説って、時系列的に物語が進行していき、その当事者視点などで語られることが多いかと思います。

一方「残穢」においては主人公の「私」の一人称視点(というのでしょうか?)で語られていきます。モニュメンタリー風に。

事後報告とでもいう感じの「こういうことがありました。」的な、出来事に対して少し距離のある語り口。

最初はその距離感があるせいか、あまり怖さを感じませんでした。この主人公「私」が現在進行形で怪異に遭遇するというタイプの語り口ではなかったからです。

悲しみと絶叫

しかし、次第にその距離感のある一人称語りがじわじわと怖くなる。事後報告的な語り口によって、小説内の怪異や穢れにまつわる話が、実際にあった出来事のように感じられてくるからです。

例えば当事者的に「後ろから何かが近づいてきた。私が振り向くとそこには髪を振り乱した老婆が、、、」的な語り口でしたら、「これはフィクションだ」とある種の安心感を持って読めます。

一方で小野不由美さんの「残穢」の距離感のある、ある種客観的な語り口は、そこから感じるリアリティがすごく、どうしてもフィクションだと思いきれない怖さがあるのです(だからこそ読了後も怖い)。

モニュメンタリー構造のホラー作品を映画などでは見たことがありましたが、それに比べても圧倒的な怖さがあります。

今まで読んできたホラー小説の中で「怖さ」暫定1位

今まで色々とホラー小説を読んできましたが、「怖さ」で言うならば「残穢」は暫定1位です。

なんといっても、読了後にまで続くリアリティのある恐怖が、しばらくとれない。ことあるごとに、ふと思い出す怖さ。

小説内に派手なシーンなどはありませんが、根の深い話が「穢れ」にまつわる怪異の怖さをより引き立てています。

怖さに注目して書いてきましたが、小説としての面白さも一級品です。

すべての怪異、「穢れ」の原因に迫っていくにつれて、ぐいぐい小説に引き込まれていきます。

ホラー小説や怖い話が好きな方には、ぜひともおすすめな小野不由美さんの傑作です。

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