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「普通とは何か」について考える映画

自然の中で考えるおすすめ映画

時には映画の話でも。

ついこの前に観た映画「はじまりへの旅」。

ロードムービー?ファミリーもの?哲学?なんのジャンルの映画かというのは区切りにくいけれど、なんとも言えない余韻と様々なことを考えさせられる映画。特に、普通とは何かという哲学的なことについて深く考えさせられた映画でした。

そんな「はじまりへの旅」の紹介です。

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普通とは何か?映画「はじまりへの旅」の感想

映画「はじまりへの旅」のあらすじ

「はじまりへの旅」の主人公ベンは六人の子供を持つ父親。森に自らの土地を持ち、現代社会と接しない暮らし方をしています。

ベンは子供達(上は18歳、下はまだ小学生ぐらい?)に様々なサバイバル技術を教え、それを活かした生活をする傍ら、様々な思想書などで英才教育もほどこしています。

子供達は学校に通っていませんが、アスリート並みの体力と、並外れた知性、他言語を操るなどの能力を習得。

そんな家族の母親は、精神の病を患い入院中。

ある日、ベンの元に彼女が自殺したという知らせが入ります。

母親の両親はベンが葬式に来ることを拒みますが、子供達のためにも参列することに。

今まで森の中でしか暮らして来なかった家族。ベンが運転するバスに乗り、母親の葬儀に参列するための旅に出発します。

そうした旅の途中、都市部の現代的な生活を目の当たりにする中で、子供達の中に自分と世間とのズレのようなものを認識し始めます。

色々あって家族は葬儀会場に到着。しかし、その葬式は母親の遺言に残されていたものとは違う、キリスト教的なものでした(彼女は仏教徒で火葬を望んでいた。そしてなによりも音楽に溢れた陽気な葬式を願っていた)。

ベンはその葬式を非難し自ら彼女の望む葬儀をとり行おうとしますが、両親に警察を呼ばれてしまいます。

ベンたちの生活のポリシーと世間との乖離。そういったことを経験するうちに、徐々に子供達の中で家族の生き方に疑問を抱くものがでてくることに。。。

普通とは違う、ベンの家族の生活

日本の夜

「はじまりへの旅」で描かれている限り、ベンはもともとかなりの高学歴。研究者だったっぽいです。

そういう学術に身を置く中で、アメリカ資本主義や現代人の生活スタイルに疑問を抱き、森の中での生活を選んだのでしょう。

ベン自身がかなりの知性を持っているので、子供達への教育もハイレベル。様々な思想書を読ませ、徹底的に自分で考える力をつけさせている様子がみてとれます。

子供達は一般的な生活を送る子と比べても高い知性と身体能力を持っているでしょう。しかし旅路の中、いわゆる「普通」とされるところに身を置いた時、社会性のなさが浮き彫りとなります。

知識も体力もある。しかし社会において、子供達の行動や発言が奇妙な扱いをされる。自分たちが「普通」ではないと悟った時、父親がほどこしてきた教育や生活のあり方は一体なんだったのかという疑問に直面するのです。

普通とは何か?

悩む

子供達の長男はベンに内緒でアメリカのトップクラスの大学を受験し、そのすべての合格を勝ち得ました。

旅の途中で長男はそのことをベンに知らせ、大学に行きたいと打ち明けます。

ベンは「これだけの知識があるのに大学に行って何を学ぶんだ!」と激怒。長男は「本などで知識があっても、社会のことを何も知らない。僕たちは普通ですらない。」と旅路で抱いた思いを吐き出します。

この辺、色々考えさせられました。たしかにベンの教育は水準の高いものですし、子供達は知識、身体能力ともに優れています。

しかしその教育には、社会という複雑な機構の中で渡り合っていく術は含まれていませんでした。あくまで森の中とベンの家族の中で完結するもの。優れた知識も、小さなコミュニティーの中では無用の長物。

長男は旅で女の子と知り合い、いい感じのところまで行きますがコミュニケーションをとる中で自分の対応がズレている、普通でないことに悩みます。

普通とは何か。ここではアメリカでの社会生活を営む上で、円滑にコミュニケーションをとるための共通認識とでもいいましょうか。ベンの教育にはそういう普通さがまったく欠けていました(むしろそういうものを拒否)。

子供達が、一生ベンが理想とする森の中で、外部と接触を絶って生活するならばそれでも大丈夫でしょう。しかし、子供達がそれを望んでいるとは限りません。今まで円満に見えた家族の絆は旅の過程でほころびを見せていきます。

多様性を容認する社会

カップル

ベンの家族が旅をする中で、ベンの妹の家や母親の両親の家に泊まることに。そこで出会う人々はことあるごとに、子供達に普通さを求め、ベンを非難します。

「はじまりへの旅」を観ていて、ベンのアンチ現代主義と普通を求める社会との対立のようなものを感じました。

このベンのやり方は、理解はするけれども、やりすぎな感じもうけます。あまりにアンチ現代のライフスタイル、自分のポリシーや思想に固執するあまり、子供達に社会性や多様性を教えていませんでした。

本来ならば、外部の人と接する中で、自分との違いを認識し、修正や強化を繰り返し社会性や多様性を身につけていくものだと思います。しかし森での生活ではそれはない。

一方で、ベンの妹や母親の両親などが社会生活における普通さを求めるのにも疑問が。ベンたちのようなライフスタイルを認めるという多様性の欠如です。

たしかに社会生活を営む上では、ある種普通さは円滑にコミュニケーションをとるための潤滑油たりえます。しかし、人によってはいわゆる普通とされる社会がどうしても受け入れられないという人もいるのです。

そういうものは認めず、社会において普通であるよう改宗を求めるような態度にも多様性が感じられませんでした。

人はそれぞれの考え方があり、皆同じというわけではありません。しかし、たとえその考え方が認められなくとも(危害が発生しないかぎり)存在を受け入れるぐらいの多様性は必要だなと「はじまりへの旅」観て考えさせられました。

「はじまりへの旅」の根底は家族愛

読み聞かせ

「はじまりへの旅」は「普通とは何か」ということや「それを押し付ける社会」など、実生活に関わる様々に考えさせられました。しかし、難しそうに見えて根底に描かれているのは家族愛です。

冒頭から母親の自死という悲しい出来事が起こります。そして、その葬儀へ向かう旅の途中でも幾度となく家族関係がほころびていきます。

しかし、そういった悲しみや困難、考え方の違いなどを経験しても家族愛というものはそう簡単に壊れるものではないのだなと。むしろ、一度そうやって困難を経験することで、今まで以上に深い結びつきになることが提示されていたように感じました。

「はじまりへの旅」の中には喜怒哀楽様々な感情とともに、考え方の違いや「普通」とは何かなど、哲学的なことについて考えさせられる映画です。

家族それぞれの表情、喜怒哀楽そういったものがないまぜになった上での家族愛。それと旅路の美しい風景。様々な感情と思考に触れることで、観終わった後、自分の中が整理されたような清々しさも感じました。

決して簡単な映画ではありませんが、観れば人それぞれに何かしらの学びや発見があるかと思います。

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