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【感想】「黄昏の岸 暁の天」天帝の存在に対する陽子の答え

【感想】「黄昏の岸 暁の天」天帝は本当に存在するのか? 読書録

うーむ、ついに読み終わったという気分。

現在2019年3月時点で発売されている新潮文庫の「十二国記」シリーズの最新刊「黄昏の岸 暁の天」を読了しました。

※発表順で言えば最新の巻ではありませんが、あえてここでは新潮文庫の並びで最新と言わさせていただきます。

これまでの「十二国記」シリーズでずっと気になっていた載国のお話。

他の国が舞台の話でも度々語られてきた泰王と泰麒の失踪の謎について、ぐいぐいと切り込んでいきます。

いやぁ、なんというか。「一筋縄ではいかないぞ!」っと。

頭の中でぐるぐると回っておりますが、現時点で感じた「黄昏の岸 暁の天」の感想などを記します。

※ネタバレあり

【前巻までの記事】:【感想】「華胥の幽夢」責難は成事にあらずに思う事

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「黄昏の岸 暁の天」天帝は存在するのか?

「黄昏の岸 暁の天」について

「黄昏の岸 暁の天」は十二国の中でも、新しく王朝が立った「載国」について語られる物語。

しかも、その載国が波乱にまみれるストーリー。

これまで、載国が主軸として語られる話は、短編集なども含めて比較的ポジティブだし穏やかなものばかりでした。

荒廃した載国に驍宗というすぐれた王が生まれ、彼が知性を施していく。幼いながら驍宗を支えようと、泰麒が成長していくなどそういう前向きな話ばかり。

しかし、景王である陽子について語られる話を時間軸的に現在とすると、今まで載国について語られてきた話は数年前に起こったことのよう。

十二国記の現在では、載国は泰王と泰麒が失踪しており、国は荒廃を極めているとか。

あれだけ前向きに進んでいた載国にいったい何が起こったのか。そしてこれまでのシリーズに語られてきた、「天帝」の存在についてより深い言及も。いままで語られることのなかった謎に踏み込んだのが「黄昏の岸 暁の天」です。

第一巻の「魔性の子」とつながる

新潮文庫での「十二国記」シリーズ、その第一巻となるのが「魔性の子」(他の出版社発行のものでは当初外伝扱いだったとか)。

「黄昏の岸 暁の天」のおいて、泰麒が逆徒に襲われ、蝕によって再び蓬莱(日本)へ渡ってしまったことが明らかになります。その蓬莱に渡った泰麒について語られているのが「魔性の子」。

時間軸的には、「黄昏の岸 暁の天」と「魔性の子」はリンクしており、十二国と蓬莱それぞれで何が起こっていたのかがわかる構成(参考:「魔性の子」はホラー?小野不由美の「十二国記」につながる序章)。

読んでいて見事だなと思わされるのは、この最新刊において見事に「魔性の子」で起こった様々なことの伏線回収がおこなわれていること。なぜ高里を守るものたちがあのような虐殺を起こしたのかも、十二国記をこれまで読んできたからこそ納得できるものがありました。

正直「魔性の子」の段階ではファンタジー要素は少なく、むしろホラー小説のような扱い。まさか、あの凄惨な話のバックグラウンドにこれだけ壮大な世界観が広がっていようとは、読み始めた当初思いもしませんでした。

天の理、天帝は存在するのかについての答え

森林

十二国記で度々言及されるも、一度としてその実態が出てこないものに「天帝」という存在があります。

十二国の世界を作り、世の理(ことわり)をつくり、そして麒麟に天命を与えそれぞれの国の王を決めるという存在。

「在る」とされているも、その姿は一度として出てこない。しかし、この不思議な世界の理はたしかに存在し、そこから外れることで罰をうけることもある。

「黄昏の岸 暁の天」でも結局天帝は出てきませんが、その理がかなりのネックになってくる。他国による載国への救済や泰麒を蓬莱から助け出すにも、その理のせいで四苦八苦。

しかし、それも解釈次第のようなもの。結果として同じ事柄でも、そのプロセスいかんによって天罰が下されたり、成功したりと曖昧な部分もあります。

載国の将軍李斎もしきりに天や天帝の存在を疑問視しています。天が絶対的な存在であり、そこに慈悲があるならば、なぜ載国を見捨てるのかと。

これは読者大勢の疑問を代弁しているようにも感じますね。「十二国記」シリーズを読んでいる中で、天帝はやたらと絶対的存在としてかかれており、国々に秩序と理を敷いていながら、一方で荒廃する国は後を絶たず、民は苦しみは減らぬ。

天が絶対的存在ならば、なぜこのような苦しみの連鎖は途切れないのか、なぜ天が選んだ存在が暴君と化すのかなど。本当に天というものがあるのかなどを含め、十二国の民と同じように、読者も同じ疑問を抱くと思います。私だってそう。

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本書の中で、そうした疑問を呈する李斎に対しての陽子のセリフが、天の存在についての一つの答えなような気がしました。

「天にとってー王はー私たちは一体、何なのですか!?」
陽子は唐突に思った。ー神の庭。
そういういことなのかもしれない。この世界は、天帝の統べる国土なのかも。天の玉座に天帝があり、陽子が六官を選び官吏を仙籍に入れるようにして、神々を選び女仙を登用する。
思った瞬間、眩暈を感じた。ーでは李斎のこの叫びは民の叫びだ。(中略)
「もしも天があるなら、それは無謬ではない。実在しない天は過ちを犯さないが、もしも実在するなら、必ず過ちを犯すだろう」(中略)
「だが、天は実在しないなら、天が人を救うなどあるはずがない。天に人を救うことができるのであれば、必ず過ちを犯す」(中略)
「人は自らを救うしかない、ということなんだー李斎」

陽子は李斎の天への疑問を自身に照らし合わせたのでしょう。民の声を聞き、善政を敷こうとしてもすべてうまく行くわけではない。慶国をいくら良くしようとしても、どこかで、まだまだ苦しむ民が存在する。また、どれだけ救おうとしても、民の自助努力がなければ、国は良くなっていくはずがない。王としてできることは、国としていい方向に向かって進むべき、大いなる道を敷き、導くのみである。

天や天帝が存在しないのであれば、人を救うわけはない。もし天が存在して人を救おうとしても、現にこのような惨状が起きているのだから、間違いは犯しえるのだ。だからこそ、どちらにせよ、このような現状は天に祈っても変わらない、人は自らで立ち上がらなければならない、と。

このような超常的な力、天の理で奇跡ともいえることがおこる十二国であっても、人の世は人で解決しなければならないという厳しい現実に付き合ったっ感じがしました。

【感想】2019年に「黄昏の岸 暁の天」を読んだ幸運

私が「十二国記」シリーズにはまったのは、今年。2019年。

「黄昏の岸 暁の天」を読んだ一番の感想は「続きが気になって仕方がない!!!!」ということ。

これまで語られてこなかった、泰王と泰麒がどうなっていたのかについては語られている。泰麒も無事、十二国に戻るところまではいった。

しかし、泰王や載国についてはこれからというところで、この物語は終わっている。「この後どうなるの?天帝って本当に存在するの??」と、ものすごく気になるところで終わっているのです。

私は2019年に「黄昏の岸 暁の天」を読み終えた。そして幸運なことに「十二国記」の新刊が今年刊行されるそうな。しばらく待てば、この続きが読める。

なぜ幸運かというと、「黄昏の岸 暁の天」の初版は2001年だから。昔ながらの「十二国記」ファンの方は実に18年もこの「続きが気になって仕方がない」もやもやを持ち続けてきたことになります(長期連載もので、しかもなかなか続刊がでない作品て、完結するのかもわからず本当にモヤモヤしますよね。ベルセルクやハンターハンターって完結するのか?)。

わたしはこのもやもやを、たった数ヶ月で克服できるのは幸運だなと。何月に発売するのかわかりませんが、次巻ですべてがわかるようなので、楽しみです!

【前巻までについての記事】:【感想】「華胥の幽夢」責難は成事にあらずに思う事

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