先日、ふっと何の予定もない休日がありました。これは、普段なかなか見られない長編大作映画をみてみようということになり、選んだのが「ベン・ハー」(「風と共に去りぬ」と迷いましたが)。3時間半越えの超大作です。
かれこれ60年ぐらい前の作品。物心ついた頃から、レンタルビデオ屋さんでは当たり前のように並んでいたし、名作と名高いことだけは知っていました。
名作と言われているものだから、一度は観てみたいと思いつつも「3時間越えじゃぁなぁ。。」と手が出なかった。
今回、満を持しての鑑賞。
その感想をば記したいと思います。
感想「ベン・ハー」チャリオットのシーンは最高だがキリストをからめるところはよくわからない
「ベン・ハー」の簡単なあらすじ
キリストの生誕とともにはじまる「ベン・ハー」。
ユダヤの貴族であるベン・ハーはいわれのない罪で、親友メッサラにガレー船(罪人が動力源の船)送りにされてしまいます。ベン・ハーのみならず、母親と妹も牢獄送りに。
ベン・ハーはベッサラに復讐を誓いながら、過酷なガレー船生活を数年乗り切ることに。そんなガレー船生活のさなか、海戦がおこります。ベン・ハーは激戦の最中にローマ軍総司令官の命を救うことに。その縁で、ローマ軍総司令官の養子になり、ローマ市民としての市民権も得られるようになりました。
ある日、チャリオット(戦車)競馬をしきるアラブ系の頭領と知り合います。彼の馬が出ているレースでは、良い乗り手に恵まれず連敗続きとだといいます。しかもそのレースで連勝を重ねているのは、あのにっくきメッサラというではありませんか。
これは復讐するチャンスだと、ベン・ハーはチャリオット(戦車)競馬レースに参加することになるのですが。。。
キリストがからまる物語
基本的な筋書きはベン・ハーの復讐劇なのですが、そこにキリストの生誕と奇跡が交差してきます。要所要所で、キリストとすれ違うベン・ハー。
ちょうどベン・ハーとキリストは同じ歳ぐらいなのかな?キリストの顔は一切出てこず、最後まで後ろ姿や髪で顔が隠れていたりしていました。その辺も神秘性を持たせるためなのかなと。
一番の見所はチャリオットレース
先ほども申したように、「ベン・ハー」は60年前に公開された作品です。ですので、CGなどは一切使われていない(当たり前ですが)。ですので、当時の人がいかに迫力のある場面を撮るかという創意工夫が随所にみられます。
例えば、ガレー船を使用した海戦なども、模型なのでしょうがけっこう迫力のある仕上がりに。まだ大砲などの銃火器がなかった時代。投石機などで火の玉を投げつけたりと、普段知ることのない2000年前の海戦の様子が描かれているところなども面白かったです。
しかし、私の感想として、一番の見所はチャリオットレースかと(他の多くの人も、ここが一番好きというひとが多いのでは?)。
チャリオットとは古代の戦車。車輪付きの乗り場を数頭の馬で引かせる古代の戦車です。
このシーンがとにかくすごい。現代じゃ安全配慮などでできないんじゃない?ってぐらいのど迫力。
古代ローマの競技場の作り込みもさることながら、本物の馬、本物の人が古代のチャリオットで駆け巡る様は、さながら当時へタイムスリップしたかのような感覚。
チャリオット同士がぶつかり合い、吹っ飛び、大破する。馬同士が競り合いながら、死闘の限りをつくす。そして、乗り手が大きな鞭を振るいながら、栄光の一着を目指す。
構図なども引きの絵、馬たちのアップ、乗り手たちの怒号、ぶつかり合うチャリオットの車輪などが交互に移り変わり、今見ても十分すぎるぐらいの迫力がありました。現代でもこれだけ迫力を感じるのだから、60年前の公開当時の人々は「ベン・ハー」にどれだけ度肝をぬかれたことでしょうか。
今なら確実にCGで済ましてしまう場面だと思います(クリストファー・ノーラン監督なら実写にチャレンジするかもしれませんが)。でもCGだと、どれだけ頑張ってもCG特有の嘘っぽさが出てしまう。
今現在のCG技術はかなり発達していると思いますが、それでも実際に手で触れられるものにかなわない部分は多々有ります。スターウォーズなどでも、宇宙空間での戦闘シーンは3、4、5部のフィギュアを使ったものの方が、質感などの点でははるかにまさっていると思いますし。
そういう、CGの映像に慣れてしまった私としては、「ベン・ハー」のチャリオットシーンはある種新鮮な興奮と感動が得られた、一番のお気に入りの部分です。
感想「ベン・ハー」の物語にキリストがからんでくることについて
「ベン・ハー」でのチャリオットのシーンなど、そういう迫力のある場面は非常に素晴らしかったです。復讐劇という構図が、チャリオットレースで果たされるというのもなんかカタルシスがあってよかった。
ただ、私的な感想としては、キリストの生涯とベン・ハーの物語のからみあいがいまいちピンとこない。
映画の後半、投獄されていたベン・ハーの母と妹は、牢獄内で業病(ハンセン病でしょうか)にかかり、死の谷というところに向かいます。
メッサラに復讐を果たしたベン・ハーですが、母と妹の事実を知り再び苦悩におちいります。
元使用人のエスターは、苦悩し続けるベン・ハーと母、妹をキリストの元に連れて行こうとします。彼はすべての人の苦しみを救うことが出来ると。渋るベン・ハーたちでしたが、なんとかキリストのいる町にたどり着くことに。
しかし、時すでに遅く、キリストは裁判にかけられて処刑されるところでした。悲しむ民衆やベン・ハーたち。
しかし、キリストの処刑後奇跡が。大地が轟いたあと、母と妹の業病が治っていたのでした。ベン・ハーはそれを知り、ようやく心の平穏を手に入れたのです。っというラスト。
たしかに、復讐だけでなく、ベン・ハーの心の救いという点まで考えたのであればこの流れはわかります。でも、どうもとってつけたような感じがしてしまったのは私だけでしょうか?
キリスト教圏の人々だったら、腑に落ちるのかな?私の感想としては、ベン・ハーの復讐劇一本に主題を絞ったほうが、よりくっきりとした作品に仕上がったような気がしないでもないです。
ベン・ハーの救いの面として、キリストの人生をからませたことで、映画全体が間延びしたような感じを受けました。あくまで、私がキリスト教徒でないからなのかもしれません。
今から見ると、古めかしい部分の多い映画ではありますが、それでも歴史的大作といわれるだけの面白さはありました。当時の人の創意工夫、その点に注目しても面白いかもしれません。