時には映画の話でも。
ここ数年、映画といえばアベンジャーズ的なアメコミものや、ドタバタアクション、sf系にファンタジーなどを観る率が高いです。
そういうのがもともと好きなのと、ある程度展開も予想できるので、ぼーっと観ていられるから。
面白いっちゃ面白いんですが、全体的に同じ展開、終わり方なので最近ちょっと飽き気味。
なので、違うジャンルの映画に色々チャレンジ。昨日はサスペンスに分類される「ミスティック・リバー」を観ました。
私、あまりサスペンスのジャンルを好んでは観ないのですが、食わず嫌いはいけませんね。アクション系で得られるのとは、また別次元の面白さ!
いや、面白いって言葉では表せない何か。すごく引き込まれて、今までに感じたことの無い種類の、複雑な感想を抱かせてくれた映画。
不思議な感情を抱かせる、クリント・イーストウッド監督作品「ミスティック・リバー」の感想などを記していきたいと思います。
※ネタバレを含み増す
「ミスティック・リバー」後味の悪くないバッドエンド
「ミスティック・リバー」のあらすじ
ミステリー映画「ミスティック・リバー」。そのあらすじをば。
主人公はミスティック川沿いにある小さな町、イーストバッキンガムに住むジミー、デイヴ、ショーンの3人の男性。過去に犯罪歴があるも今では雑貨店を営むジミー。平凡な生活を営んでいるデイヴ。そしてFBIで刑事をしているショーン。
この3人は昔ご近所同士で、一緒に遊んでいた中。彼らが11歳の時のこと。3人で遊びながら、道路に敷かれた生乾きのコンクリに自分たちの名前を刻むといういたずらをしていました。そこに現れた刑事。彼は3人をしかりつけ、デイブだけを車に乗せて立ち去ります。
実はそれはニセ警官で、デイブは4日間監禁され性的暴行を受けました。なんとか脱出できたものの、そのことが心の傷となり、3人は疎遠に。そして話は現在に移ります。
ある日ジミーの娘が射殺体として見つかります。彼女は前夜にバーで友達と騒いでいたところまでは目撃されていました。推定死亡時刻はバーを出た深夜とされました。
ちょうどジミーの娘が亡くなった日、デイブも彼女と同じバーに居合わせました。家に帰ったデイブはなぜか血まみれ。彼は妻に「強盗ともみ合って、切りつけられた。俺は相手をかなり殴った、殺してしまったかもしれない。」と言います。妻はそのことを信じ、病院にも警察にも連絡せず、彼を治療します。
ジミーの娘の犯人を捜すべく、捜査担当になったショーン。彼は娘の足取りや人間関係を調べていきます。それと同時期に、ジミーは昔の犯罪仲間に独自で犯人を探させていました。警察よりも早く犯人を見つけて、自らの手で娘の復讐を果たすために。
「ミスティック・リバー」はデイブの過去の体験で仲がこじれた3人の主人公と、ジミーの娘の死の真相が絡まり複雑な様相を見せるサスペンスです。
デイブの過去のトラウマが軸となる
物語は最後の最後まで、犯人が誰であるかわかりません。誰かが嘘をついているのかもしれないし、意外な人物が犯人だったりもする。
とりあえず、話の流れでFBI捜査官のショーンは犯人で無いことはわかるのですが、過去に犯罪歴のあるジミーも微妙に怪しかったりする(娘を愛しているのですが、実はその娘は駆け落ちを画策していた)。
しかし、観ていて一番単純に怪しいのはデイブですね。ジミーの娘が殺害された日、彼は血だらけになって帰ってきているのですから。
なおかつ、デイブの過去のトラウマも犯人への疑いを加速させます。所々で、誘拐され性的暴行を受けたせいか、精神的に病んでいるかに見受けられるシーンがあるからです。
動機を考えると、単純にジミーに対しての逆恨みがあるんじゃ無いのかなと。3人で遊んでいたのに、自分だけが誘拐され暴行を受けた。なぜ自分だけがこんな目にあわなければならなかったのかと。
「ミスティック・リバー」では割と最後の方まで、デイブが怪しい感じで進んでいきました。
「ミスティック・リバー」の意外な犯人と結末(ネタバレあり)
途中、ジミーの娘を撃った銃の身元が解明されます。それは、通称「ただのレイ」と言われた男の銃。
レイはかつてジミーの犯罪仲間でした。レイは警察に捕まった結果、己の保身のためにジミーを売ります(そのせいでジミーは二年の刑務所暮らし)。その後レイは行方不明に。
ジミーは今でもレイを嫌っていますが、その長男は密かにジミーの娘と付き合っており、駆け落ちを計画した張本人でした。レイの長男は思いやりがあり、言葉を話せない弟の面倒もよくみるような青年。
FBIのショーンはレイの長男が怪しいと取り調べますが、結果はシロ。
ちょうど同じ頃、デイブの妻がジミーに相談を持ちかけます。それは娘が殺された日、デイブが血だらけになって帰ってきたこと。デイブが犯人だと思っていると。
ジミーは仲間を使って、ミスティック川沿いの場末のバーにデイブを誘い込みます。酔ったデイブを川沿いに連れ出し、ナイフを突きつけ、犯人であることの自白を迫るジミー。
デイブは必死で否定します。あの夜血だらけだったのは、子供をレイプしている男を見つけ、もみ合い殴り殺してしまったからだと。しかしジミーは信じません。素直に娘を殺したと告白すれば命は助けてやると脅します。ジミーは過去にここでレイを殺しミスティック川に遺棄したことも告白し、脅しが本気であることを伝えます。
とまどいながら、自分が殺したと伝えるデイブ。その瞬間、ジミーはデイブをナイフで刺し、トドメに銃を撃ち放ちます。
しかし、それは誤解だったのです。娘を殺した真犯人は同時刻に逮捕されていました。犯人はレイの次男。
犯行動機などなく、銃を持って遊んでいて、誤って射殺してしまったとのこと(大好きな兄をジミーの娘にとられると思ったゆえの犯行という考察もできますが)。
朝、家の前でうなだれているジミー。そこにショーンが現れ、娘殺しの犯人が捕まったとの報告をします。愕然とするジミー。
ラストは祭りのパレードのシーン。ジミーは警察に捕まることなく、家族でパレードを見つめています。ショーンも長らく別居していた奥さんと一緒にパレードを見つめます。互いに目があるジミーとショーン。ショーンはジミーを撃つジェスチャーをし、ジミーはおどけます。それぞれの人生は続いていくのです。
【感想】後味の悪くないバッドエンド
あえていえば、「ミスティック・リバー」はバッドエンドに属する映画でしょう。過去にトラウマを負ったデイブは救われないし、娘を殺された上に誤解によって友人を殺してしまったジミーも救われない。
通常、こういう救われないバッドエンドな映画を見た後は、なんとも嫌な気持ちが残るもの。しかし、「ミスティック・リバー」に関して言えば決して後味の悪い映画ではありませんでした。不思議な清々しさすら。
ショーンがジミーに真犯人を伝えるシーンがそれを感じさせてくれるのかもしれません。ショーンはジミーにデイブの行方を訪ねます。事情を聞かなくてはならないと。「デイブを最後に見たのはいつだ?」と。
ジミーは通りの先を指差しながら
「25年前この通りを車で去っていった」
とだけ答えます。
何かここに、寂しさと諦めのようなものを感じました。色々なことが重なり合って、今現在の結末を迎えた。しかし、それはもうどうにもならないことなのだ。デイブの運命も25年前に連れ去られたあの日に決まってしまったのだと。それはジミーの娘の死をも含めた諦めのようなもの。
具体的な言及はありませんでしたが、ショーンはその時点で、ジミーがデイブを殺し、かつ過去にレイも始末したのだということを察したようでした。
三者三様に、25年前の誘拐事件を引きずっていたのでしょう。しかし、ジミーの娘殺しの事件が決着したことで、それまでの様々なことを諦めた、そういう寂しさとも清々しさともとれるようなシーンという感想を抱きました。その潔さも感じられるような諦めが、バッドエンドながら後味の悪さを感じさせないのかもしれません。
「ミスティック・リバー」はおそらく、主人公3人の誰に感情移入してみるかによって、様々な感じ方を持てる映画だと思います。私は、比較的ジミーの立場で観ていたので、このような感想を抱いたのかもしれません。
決して晴れやかな気分にもならない、かといって気分が沈むわけでもない。
普段日常生活の中で、なかなか味わえないような感情を抱かせてくれた映画でありました。