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【感想】「キングオブコメディー」で本当に狂気なのは誰か?

コメディアン・ピエロおすすめ映画

2019年末に大ヒットした「ジョーカー」。その人気で、一躍脚光を浴びたのがマーティンスコセッシ監督とデ・ニーロのタッグ映画「タクシードライバー」と「キングオブコメディー」です。

私もジョーカー関連で「キングオブコメディー」を観たのですが、そこに含まれている狂気の成分は「ジョーカー」とはまた質の違うものでした。

その辺の考察も含めて感想を記していきます。

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感想・考察「キングオブコメディ」狂気と世論

「キングオブコメディ」あらすじ

「キングオブコメディ」は1982年制作のマーティンスコセッシ監督による映画です。主演は名優ロバート・デ・ニーロ。多くの映画でタッグを組む二人の初期代表作。

【参考】:【感想】「アイリッシュマン」は名優たちの演技が素敵すぎる!

とあるコメディアン志望の男の狂気と妄想が起こした笑えない喜劇。

「キングオブコメディ」の簡単なあらすじをば。

主人公のルパート・パプキン(デ・ニーロ)はコメディアンを志望しています。

ある日、大人気コメディアンのジェリー・ラングフォードを、熱狂的なファンの群れから助け出し、二人だけで話すチャンスを得ます。

熱心に自分をアピールするパプキン。それを鬱陶しがるラングフォード。ラングフォードは「私の事務所へ連絡しなさい」的なていのいい言葉で、パプキンを追い払います。

しかし、パプキンはそれを勘違い。自分はラングフォードに代わるスターになれるものとの妄想を膨らませ、徐々にその行動はエスカレートしていくことに。。。

パプキンのまったく周りが見えていない狂気な感じと、世論の暴力的とも言えるラングフォードへの熱狂っぷりが「これって笑っていいところなの?」的な不安感を抱かせてくれます。

ファンたちの狂気

キング・オブ・コメディ (字幕版)

パプキンはひとまず置いといて「キングオブコメディ」で印象的だったのが、ラングフォードのファンたちの行動。

熱狂的、狂信的ともとれるファンたち。楽屋口から出てくるラングフォードに少しでも近づこう、触ろう、話し掛けようとするファンたちの熱気は正直狂気じみています。

街を歩いただけでも、いたるところにラングフォードのファンはおり、少しでもファンサービスを怠ると罵詈雑言。

この映画で、パプキンの相棒的な立ち位置で、ラングフォードのストーカーをするマーシャという女性が出てきます。病みっぷりが光るキャラではあるのですが、他のモブ的なファンたちも負けず劣らずの病みっぷりなので、若干マーシャの印象が薄れるぐらい。

ポップアーティストのアンディー・ウォーホルの代表作に、マリリンモンローをシルクスクリーンで描いたものがあります。

あの作品は、マリリンモンロー本人を描くというよりも、アメリカ人が”イメージする”象徴としてのマリリン。そこには熱狂や盲信やファンの勝手なイメージなども付随されており、マリリン本人がどういう存在であるかということは重要ではなくなってくるのです。

ラングフォードの存在も、現実世界のマリリンモンローのような印象を受けました。ファンたちは、自分たちが熱狂出来る、シンボルとしてのラングフォードに盲信している。そこには彼が実際どういう人物かなど関係ありません。

実在よりもイメージに熱狂するという、テレビ時代を象徴する民衆の変化を描いたような、そんな印象を受けました。

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「キングオブコメディー」の何が面白いのか

私的にラングフォードに群がるファンの狂気というものも、なかなか興味深いものはあったのですが、なんといっても「タクシードライバー」の面白さはパプキンの妄想と狂気、そして予期せぬ結末にあると思います。

自分はラングフォードに頼りにされている、次世代のスターだと勘違いして最後まで駆け抜けるパプキン。最終的にマーシャと共謀し、ラングフォードを誘拐。そして人質の安全と引き換えに、ラングフォードのテレビ番組で一夜限りのスタンダップコメディーを披露するのです。

私は「キングオブコメディー」よりも先に「ジョーカー」を見ていたので、このスタンダップコメディーはウケないのだろうと思っていました。しかし、結果は大ウケ。

【参考】:【感想・考察】「JOKER」ジョーカーになった瞬間はいつか?

これは、しゃべったジョークの内容が面白いのか、それともテレビで出てくるコメディアンのいうことは無条件で面白いと判断する観客の笑いなのか。

『キング・オブ・コメディ』と『ジョーカー』【ゆっくり解説】【20分でわかる】

ある意味、映画を見ている観客への挑戦のようにも捉えられました。本当に自分の頭で考えて観ているのか?と。

パプキンは目的通りテレビに出演、そして警察に逮捕されます。しかし、そのテレビショーが熱狂的な支持を獲得し、パプキンは出所後自分のテレビーショーを持つことに。そこで、この物語はエンディングを迎えます。

この不条理な感じ。パプキンとしては、テレビ出演時点で目的を遂げたはずなのに、世論が拡大解釈しておかしな方向に話が進んで行く。

ラングフォードもそうですが、そういう世論の恐怖や狂気というものをするどく描き出しているのが「キングオブコメディー」の面白さであると感じました。

「タクシードライバー」との比較

同じくマーティンスコセッシ監督作品で、主演がデ・ニーロの「タクシードライバー」でも、ラストおかしな方向に進んで行くという共通点があります。

【参考】:映画「タクシードライバー」ラストの解釈と感想

「タクシードライバー」では、半ば自暴自棄になった主人公が売春窟に乗り込んで、ギャングを皆殺しにし、自分も自殺未遂を起こします。しかし、その行動が、売春からいたいけな少女をすくっただとか、悪を駆逐したと拡大解釈されて、半ばヒーローみたいな扱いに。

「キングオブコメディー」も「タクシードライバー」も主人公が目的を遂げた後の、予期せぬ結果という点では共通しています。

その予期せぬ結果は、ぱっとみ好ましい展開にすすでいるのですが、ラストに見せるデ・ニーロの表情には私は一抹の戸惑いを感じました。「どうしてこうなったんだ?」と。

「悪くはないが、これを歓迎しているわけではない」。主人公たちからは、こんな印象も受けます。

思い切った行動をして、自分の意思だけで目的を遂げたはずなのに、他の世論によって枠組みに再度閉じ込められる。もしくは、世論に取り込まれてしまう。

暴力、不条理、狂気。それは主人公が起こした行動だけでなく、世論側に多分に含まれているようにも感じました。これについては、日本で毎回ニュースとなる、渋谷のハロウィンの馬鹿騒ぎにも通じるものを感じます(参考:【集団心理】なぜハロウィンに渋谷で若者は騒ぐのかの考察)。

「キングオブコメディー」や「タクシードライバー」は見方によって、いろいろな解釈が生まれる、大人な映画といってもいいでしょう。

そういう考察を楽しむのも、この映画の面白さかもしれません。