小野不由美さんの「十二国記」シリーズ。私は新潮文庫版で読み始めています。
前回読んだのが「風の万里 黎明の空」。そして今回は「丕緒の鳥」に手をつけました。
ウィキペディアなどでみると、作品発表順で言えば「風の万里〜」の次は「図南の翼」のようですが、ここは新潮文庫版の順にしたがって読み進めていきます。
これまで「十二国記」とは一風違った、地味な展開。王の活躍も、麒麟の葛藤も何も描かれていません。
しかし、これを読むことで「十二国記」の世界観の厚みがさらに増す巻でもありました。
国を支える人々を描いた4つの短編で構成される「丕緒の鳥」の紹介とその感想をば。
※ネタバレ含みます。
【前巻までの記事】:「風の万里 黎明の空」少女たちの成長と王道ファンタジー【感想】
「丕緒の鳥」十二国記でそれぞれの国を思い働く人々の物語
「丕緒の鳥」十二国記にしては地味な印象の巻
これまでの「十二国記」シリーズでは、王や麒麟たちの物語を中心に展開されてきました。
アクションシーンこそ、さほど多い話ではありませんが、それでも大河ドラマのような壮大な国づくりが描かれてきた印象。
対して、この「丕緒の鳥」は読んだ感想としては結構地味な印象を受けました。
王様も麒麟もでてこない。基本的に登場人物はおじさんばかり。アクションシーンも全然ない。
正直、今までのシリーズの壮大さを期待するのならば肩透かしをくらう巻かもしれません。
でもね。この地味さが実にいい!私、ただいま35歳。この歳になると、ここで描かれるような、地味だけれどもしっかり国を支えているおじさん達のはなしにグッとくる。
ある意味「プロジェクトX」のような「丕緒の鳥」に描かれている人々のような、地味だけれどもひたむきな仕事があってこそ、それぞれの国が成り立っているのです。
よく「十二国記」では不正や汚職役人がでてきますが、本書で登場するような国を思う役人さんや人々がいるんだなと思うと、じーんとくるものがありました。
死刑制度など現実を風刺した内容
本書に収録されている4つの短編はどれも、どことなく現実を風刺したような内容に感じます(もちろんどんな小説でもそうなんだろうけど)。
その中でも「落照の獄」という話は死刑制度を題材としており、今現在も日本で議論されている内容が投影された作品。
死刑が長らく停止されている柳国において起こった連続殺人事件。犯人の狩獺は冷酷で更生の余地もないような獣物と評されています。世論は圧倒的に死刑を支持。しかし、柳国の司法は悩みに悩みます。
今現在、日本には死刑廃止論も叫ばれており、世界では実際に廃止している国もあります。しかし、日本はまだまだ踏み切れない。死刑を廃止してしまうことで、犯罪抑止や社会にどのような影響がでるかわからないから。
柳国においても同じことで、今死刑を復活することで、社会的にどのような変化があらわれるか未知数。一度死刑を容認すると、それから先も乱用される恐れも。民も「罪には死を」という意識の変化があらわれ、国の道徳にまで影響を及ぼす可能性も。
私はここで死刑の是非は語りませんが、ここで描かれているような、ひとつの決断で国の行く末が変化するような事態においての司法役人の苦労は並々ならぬものでしょう。「落照の獄」はファンタジーという枠を超えた、国の制度に対する心理的葛藤を巧みに描いた傑作短編です。
興味深いのは、この話の時点で柳国が若干傾きつつあるということ。これまで長い間平和であった国に現れた、崩壊の兆し。そのような兆候を感じ取っているからこそ、司法役人達はさらに頭を悩ませるのです。
王がいかに重要かを再認識させられる
「落照の獄」を読んでいると狩獺のような極悪人が誕生した背景にも柳国の崩壊の兆しが影響しているのではないかと感じました。
この「十二国記」シリーズでは、王と国と自然現象などが密接に結びついているからです。
王が権威や威光、道を失えば国の荒廃が進む。これは何も政治的な意味だけでなく、摂理というか現象的なスケールで荒廃がおこるよう。柳国でも長年賢君として統治を行ってきた柳王が、政治に興味を示さなくなってきたというくだりが。
そういう王の精神状態などが、政治などの枠を飛び越えて国に影響するのです。天候は荒れ、妖魔がはびこり、そして狩獺のような極悪人の誕生すらも、王の威光のいかんによって左右されるのかと。
「丕緒の鳥」の他の短編も、王の没落、あるいは不在によって天変地異や凶作に襲われる国が出てきます。王というものは、十二国において天地の理をも左右する、単なる統治者を超えた存在なのです。
やっかいなのは、ダメな王ならば変えればいいというわけにはいかないこと。天命によって麒麟が王を選ぶというシステムが存在する以上、人意では王という存在をどうしようもない(クーデター的なものは可能ですが)というところも「十二国記」の面白いところでもあります。
そのシステムがあるからこそ、現実に似ているんだけれどやっぱり違う、ファンタジーとしての面白さも加味されていくから。
今までのシリーズではさほど意識しませんでしたが、王と国との結びつきの重要性を再認識させられる巻でもありました。
王だけでは国は成り立たない
王は天地の理をも左右する存在。王の存在いかんによって、国の命運はわかれます。
かといって、王だけで国が成り立つわけではない。「丕緒の鳥」に出てくる、国のためを思い、国のために働く心ある役人さんたち。彼らの努力があってこそ、治世に血が巡るのです。
国が荒廃しているからといって嘆くのではなく、少しでもそれを食い止める。または立て直すために、寝食を忘れて己の仕事に邁進する人々。
その人々の仕事は「十二国記」という壮大なスケールのファンタジーにおいては地味な役割かもしれません。
しかし、この巻において、それらの人々を丁寧に描くことで、よりこの世界の緻密さが増したようにも感じました。
十二国それぞれの国を思い、働く人々の物語
私の感想としては「十二国記」は子供も大人も楽しめる、優れたファンタジー小説であると思っています。
しかし、「丕緒の鳥」に関しては、子供はあまり楽しめない巻だろうなという印象。高校生ぐらいでもわかるかどうか。それは、ここで描かれている、働く人々への実感が伴っていないから。
一方、社会に出ている大人にとっては、なんとも言えない共感を抱く巻になるかも。「よし、今日も頑張ろう」と仕事に対して襟を正すような話が多いです。地味だけどいい。いぶし銀の良さ。そういう巻。
「家康、江戸を建てる」というドラマ化もされた小説がありますが、あれに近い印象も。歴史の本筋ではスポットライトが当てられないけれど、庶民の生活に多大な影響のあることを成し遂げた人々の物語(この小説もおすすめです)。
先にも言いましたが、発表順で言うと「丕緒の鳥」はかなり新しいものです。しかし、新潮文庫が、「十二国記」シリーズの六作目として本作を持ってきたのは正解だったかと。
「丕緒の鳥」を読んでおくことで、今後の「十二国記」シリーズを、今まで以上のリアリティーを持ったものとして楽しめるような気がします。
【次巻についての記事】:【感想】「図南の翼」珠晶の成長を描くロードムービー
【前巻までの記事】:「風の万里 黎明の空」少女たちの成長と王道ファンタジー【感想】