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美味しんぼの山岡さんも推薦の料理随筆「土を喰ふ日々」

ほうれん草のイメージよく寝る本

本日も快眠を目指すため、寝る前の読書にぴったりな本をおすすめします。

なんども取り上げていますが、私は料理のエッセイ本が好きで寝る前の読書によく選んでいます。

料理を食べるという行為は私にとって平和なことであるし、心が和やかになる、リラックスするというのがその大きな理由。

文章で読んでいるだけでも、そのリラックス作用はあるらしく、気持ちが落ち着いた状態で眠れるので料理エッセイを愛読しています。

本日紹介するのも料理エッセイともいえる本。いやエッセイというよりも料理随筆といいましょうか、もう少しかしこまった雰囲気のある本。

「土を喰ふ日々」という本なのですが、これがまた他の料理エッセイ(随筆)とは一線を画した良書でしたので紹介させていただきます。

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美味しんぼの山岡さんも絶賛の料理随筆「土を喰ふ日々」

美味しんぼのほうれん草のエピソードで紹介された「土を喰ふ日々」

私が「土を喰ふ日々」を知ったのは料理漫画の金字塔「美味しんぼ」の33巻にあるほうれん草のエピソードです。

美味しんぼの主人公山岡士郎さんが作中で「現在チマタにあふれている料理関係の本で、読む価値があるのは・・・」とい表現で「土を喰ふ日々」を紹介しています。

その時「美味しんぼ」ででていたほうれん草のエピソードが気になり、いつか読んでみたいなと思っていました。

これはほうれん草の根元の赤い部分を捨ててしまうのではなく、大切にあつかうという話なのですが、普段意識しない根っこの部分が何者にも代えがたい美味のように表現されており、強く心に残っていました。

美味しんぼ好きの人にはわかると思いますが、このほうれん草のエピソードでよだれが湧いたのではないでしょうか。普段食べている何気ない食材なのに、普段では気づかないような魅了や美味しさに気付かされるエピソードなのでおすすめです。

お寺での日々と食事と修行から学んだ食材への愛情

精進料理

この「土を喰ふ日々」の作者水上勉さんは小説家なのですが、幼いころ実家が貧しかったことから、お寺に修行に出されていたそうです。

後にお寺を出、一般の生活に入りますが、本書の中ではそのお寺での経験を懐かしみつつ、軽井沢での日々の暮らしと食べ物について語られています。

「土を喰ふ日々」を読んでいて特に心に響くのが、食材への愛情の注ぎ方、眼差しというものです。

高価なものや珍しいものは出てきません。庭で採れたもの知人や友人にいただいた身の回りの食材をいかに美味しく、ありがたく愛情込めて頂くかということを優しい文章で描かれています。

構成は1月から12月までの章にわかれており、その季節ごとの食の紹介という料理随筆。

「土を喰ふ日々」に出てくる料理は、基本的に食材を買うということはなく、育てたもの、つまりあるもので毎日の食をつくりあげていきます。

温室などに頼らなければ、冬などは食材が枯渇しそうですが、それでも保存のきくもの、冬に強いものを少数ながらでも大事に大事に使って料理を組み立てていく姿。

一本の大根にも個性があり、時期があり、そこにはその育ってきた環境、つまり土の味にまでイメージが広がるほどに、一つ一つの食材を一期一会の精神で大切に扱っています。

我々などは普段、スーパーにいけばあふれるほど野菜や食材が販売されており、季節感などなくどんなものでも年がら年中手にはいるといった環境にいるので、こういう一つ一つの食材や季節性を大切にする文章に出会うと、思わず襟を正す思いです。

「土を喰ふ日々」の文章からつたわる、食材の美味

庭の大根

「土を喰ふ日々」は一見かたそうな本ですが、読んでみると料理の本の魅力である美味しそうなイマジネーションが膨らむ文章も多分に含んでいる随筆です。

ある年、水上さんが育てていた大根の出来がわるかったそうです。形も良くなく、小さくてひょろひょろ。煮物にしてもしこりや苦味、スがあったりと美味しくありません。

しかたないので大根おろしにします。

なんと辛かったことよ。しかし、その辛さは独特の味だった。めしにのせると甘くなって舌をひたした。昔の大根だった。いや、ぼくらがわすれてしまった大根の味なのだった。
いまの大根は、なりは立派だが水っぽくてそっけない。こころみに、これをおろしにして見給え。どうやらうす味の、まのぬけたようなところがないか。ぼくは、一見してはなはだ出来のわるい姿とみた大根が、しっかりと、辛さだけを、独自に固守していたことに感動した。

この「めしにのせると甘くなって舌をひたした。」という表現。一見美味しくなさそうな大根がおろしになるや、みずみずしい鮮烈な辛さをたたえ、さらにそれがご飯と合わさることでさらに味わいが深まるのがまじまじと想像できます。

重すぎず、軽すぎず、「土を喰ふ日々」の丁寧な言葉で紡がれた禅味のある文章からのイマジネーションは、美味しそうというだけでなく、今度丁寧に味わってみようという気をも起こさせてくれます。

美味しんぼの元ネタ?山椒とすりこぎと味噌汁のはなし

山椒

言及はされていませんがおそらく「美味しんぼ」の元ネタであろう、山椒のすりこぎの話「土を喰ふ日々」にがでてきます(唐山陶人先生の奥さんにご飯としじみの味噌汁の作り方を教える回)。

山椒のすりこぎは味噌をする時につかっていたようで、つかえばつかうほど少しずつ減っていきます。そしてそれは味噌にも溶け込んでいきます。

すりこぎの先端が目にみえぬぐらいに、すりへっているのを感じ取れば、それがまじっている味噌の遠くに山椒を嗅ぐことになる。

私は山椒のすりこぎですった味噌汁は飲んだことがないのですが、味噌汁から山椒の風味を感じ取るとはなんと鋭敏な感覚!

「土を喰ふ日々」でも水上さんのおばあさんのエピソードが何度か語られますが、おばあさんは山椒の実のつけたものを毎日食べていたそう。山椒とおばあさんとのイメージは切っても切り離せないもののようです。

私も山椒が好きですが、普段の食事に毎日使用するということはありません。「土を喰ふ日々」にはしばしば山椒の話題がでており、すりこぎをはじめ、そこから日本人と山椒の深い結びつきを感じさせられました。

※「美味しんぼ」が参照したと思われる山椒のすりこぎエピソードですが落語の「味噌蔵」にも同じような話題がでてきます。話の内容は全く違いますがご参考までに。

柳家小三治 味噌蔵

その季節、わずかな時期にしか喰えぬという貴重さ

毎日料理を食べていますが、もっとその食材一つひとつにまで愛情をもって接したほうがよいのだなと思います。

本来ならば食材には季節感があり、その土地の性質をも味に体現しているはずなのです。それを漠然と受け取っていてはもったいないような気がしてきました。

「土を喰ふ日々」を読んでいると、食への思いやりを持つことの大切さなど、心が整えられていくような感覚になります。

寝る前に読めば、その心が整えられていく感覚で落ちつき、清々しい気持ちで眠りに入っていけるでしょう。

食材に対する新たな視点を得るとともに、味わうことの大切さなどないかと学びの多い料理随筆でした。