待ち続けていた、十二国記の新刊「白銀の墟 玄の月」。
様々な国の物語が混在する十二国記において、最大の謎を残したままであった戴国についての物語。
エピソード0とも言える「魔性の子」からの謎がついに解き明かされます。
【感想】「白銀の墟 玄の月」阿選と驍宗と天の摂理に見る十二国記
十二国記中最大の謎に迫る「白銀の墟 玄の月」
多くの人が待ちに待ち望んだ、十二国記の新刊「白銀の墟 玄の月」。「魔性の子」から続く、戴国の因縁に決着がつく巻となりました。

戴国についてで言えば様々な謎を残した「黄昏の岸 暁の天」から実に18年ぶりとなる続きがでたことになります(その間に短編などは出ていますが)。

驍宗はなぜいなくなったのか、泰麒はどうなったのか、戴国は今後どうなったかなど数々の謎が解き明かされた「白銀の墟 玄の月」。
その中でも、驍宗から玉座を奪った阿選の動機と天の理について、色々考えさせられるものがありました。
阿選が驍宗から玉座を奪った理由
「白銀の墟 玄の月」の1巻を読む限り、阿選という男は驍宗に匹敵するぐらい、有能な将軍。人望厚く、新たな王の候補とも目されていたそうです。
二人の仲も悪くはなく、むしろ良いライバル関係であったと。しかし、阿選は驍宗から玉座を奪った。
その理由は、あまりに二人が似ていたというところにありました。何をしても阿選と比べられる。まるで驍宗の影のように。
十二国記では、基本王やその側近たちは、その地位である限り老いることも死ぬこともありません。つまり、驍宗が善政をし続ければ、永遠に比較される人生が続く。それに阿選は耐えられなかったのです。
有能な将であった阿選は驍宗を陥れ、玉座を奪います。ただし、驍宗も泰麒も殺すことはなく。
真理であり、理不尽である天の摂理
阿選が驍宗と泰麒を殺さなかった理由。それは、十二国記の天の摂理によるものでした。王、または麒麟が死ぬようなことがあれば、天は新たな、そして正式な王を選んでしまう。
この新たな、正式な王が現れないということが肝でした。もし新しい麒麟が別の王を選んでしまっては、阿選が確実に偽王であることがわかってしまう。しかし、驍宗と泰麒が生き続けてさえいれば、少なくとも新たな王や麒麟というものは出てこない。
ひどく曖昧な形であれ、阿選は偽王であり続けることができるのです。この辺に十二国記の中でたびたび描かれる、天の摂理の理不尽さというものが現れているような気がします。
はっきりとした、天の摂理というものが明文化されているわけではありません。ただ、結果として、起こったことから「やっていいこと」、「悪い事」の区別をつけていくのです。
「失道」、「その国の王の依頼がなければ他国に軍を入れる事ができない」、「同じ氏の王は続かない」など、全て結果から導き出された天の摂理。
「白銀の墟 玄の月」の中でトリックスター的な立ち位置の琅燦のセリフ。
「私はこの世界と王の関係に興味があるんだ。何が起こればどうなるのか、それを知りたい」
これは読者も感じていることでしょう。私も十二国記最大の魅力はこの、天の摂理にあると思っています。天の摂理、天帝からのペナルティを受けないように如何に振る舞うか。そしてペナルティが起こった時、一体何がわるかったのか。振る舞いや結果から、天の摂理が導かれていくという面白さ。
天の理は絶対的なものであり、真理ですらあるからこそ融通が利かない。その理の中で、いかに立ち振舞えるか。阿選はそこに付け込んでの、玉座の簒奪であり、それと同時に政の放棄をも行ったのです。失道を引き起こさないために。
阿選の復讐は天に対してだった
「白銀の墟 玄の月」で一番面白いなと感じたのは、阿選が天の摂理を巧みに利用したところです。悪用と言ってもいいでしょう。
「これをしたら失道に陥いる」言いかえれば、それをしなければ失道に陥る事はなく、天からのペナルティも受けぬまま、曖昧な状態ではありますが偽王として戴国に君臨し続けられるのです(正式な王ではないので、根本的に阿選には失道はないのかも?)。

「白銀の墟 玄の月」を読み始めた当初は、阿選はただ驍宗への嫉妬、いや、永遠と続く二番手とみなされ続けることに耐えきれずに玉座を簒奪したのだと思っていました。
しかし、読み続けていくうちに、阿選は天の摂理をも恨み、それに復讐しようとしていたことがわかります。そもそも、自分ではなく驍宗を選んだ天に対して。
阿選は嗤った。
「怨むなら驍宗を選ばせた天を怨むがいい」
阿選は天に対する復讐を誓った。偽王は玉座を盗んで国を生かそうとするから破綻する。天の加護がないからだ。だが、国を殺そうとすれば破綻はない。全ての摂理は阿選に味方するだろう。
阿選が政を放棄した理由もここにありました。偽王が国を生かそうとすると、天の摂理により破綻がおきます。これは過去の例からも確実なこと。だからこそ、逆をつき、阿選は何も行わなかったのです。
天を欺き、その摂理を逆手にとって何もさせない。そして自分も何もしない。ある種の復讐を果たした阿選は、ひどく曖昧で無気力な存在へとなったのでした。
【感想】阿選の絶望感
戴国の物語のクライマックスである「白銀の墟 玄の月」。見所は山ほどありますが、私の感想としては阿選の驍宗に対する心情部分や、天の摂理との駆け引きに心惹かれました。
読んでいく中で、これほど有能な阿選がそのような嫉妬めいたことをするのかという疑問もあります。作中でも、阿選は嫉妬ではないと語っていました。
有能であるがゆえにつきまとう、多くの期待と人々の目。そして、自分よりほんの僅かだけ、上をいった驍宗という存在。そのほんの僅かな差は、今後永遠に覆される事なく続くという絶望感。
十二国記という天の摂理が働く世界での住人である阿選には天命により王が選ばれるシステムも、神席や仙席にはいれば永遠に生き続けるということも、これまで積み上げてきたものを投げ出してもいいぐらいに不愉快になったのかもしれません。
正直、阿選の気持ちは計り知れないところもあります。有能であり、人望も集めていたかつての阿選は、人柄としてもとても良かったはず。それだけの人間であるならば、どこかできっぱりとした諦めと、そこからスタートして驍宗の下で戴国のために尽くそうという気持ちになったのではとも考えられます。
が、そうはならなかった。ほんの、ほんの小さなしこりのようなもの。「永遠に覆すことのできない差」ということは、本当に有能な、自分の努力で多くの事をなしえてきた阿選にとっては、耐え難いものだったのかもしれません。
「白銀の墟 玄の月」のラスト、阿選が打ち倒されるというシーンは描かれていません。十二国記の最後のページでおなじみ、年表みたいなもので、
十月、上、鴻基において阿選を打つ。九州を平らげて暦を改めるに明幟とす。
とだけあります。
2020年に十二国記の新刊短編集が出るようなので、小野不由美先生に、是非とも阿選のラストを書いてもらいたいと思いました。そしてもちろん、驍宗や泰麒、戴国のその後まで。
まだまだ、今後も十二国記を楽しめそうです。