以前にも取り上げましたが、最近自分の中で小野不由美さんブームが起こっています。
小野不由美さんの実話怪談風の傑作ホラー小説「残穢」を読んでから、その世界観に一気に魅了されました(参考:「残穢」読了後に怖さの増すホラー小説と「穢れ」の概念)。
リアリティのある設定と構成で、すぐ隣に潜んでいるような恐怖を感じさせる彼女のホラー。
今まで、ホラー系ばかり読んできましたが、今回は小野さんの大人気ファンタジーシリーズ「十二国記」に取り掛かりました。
もう20年以上続いている小野さんの代表作とも言えるシリーズ。そんな「十二国記」シリーズの序章とも言える「魔性の子」の紹介です。
小野不由美の「十二国記」の序章「魔性の子」。ファンタジーというよりもむしろホラー
昔、友達が「十二国記」のアニメにハマっていました
今まで「十二国記」を読んだことがなかったのですが、自分の中で気になる小説ではありました。
私が大学生の時のこと。友達が「十二国記」のアニメにどハマりして、熱くその魅力を語っていた記憶があります。
よくあることですが、あまりに熱っぽく語られると、逆に引いてしまうもの。当時の私も、友人の熱量に引いてしまい、今まで「十二国記」に手をつけずにいました。
しかし、最近自分の中で小野不由美さんのホラー小説ブームから、にわかに興味が湧き今回読み始めた次第。
小野不由美の人気ファンタジー「十二国記」の序章「魔性の子」
まだ読み始めたばかりなので、全体像をよく知りませんが「十二国記」は小野不由美さんの代表作とも言える人気ファンタジーシリーズです。
今回紹介する「魔性の子」はその序章とも言える作品。
なぜ第1作目と言わないかというと、人によっては番外編的なニュアンスで捉えられているから。一応手元にある新潮文庫のものでは第1作目にカウントされていますが、今回はあえて序章という表現でいきます。
簡単なあらすじをば。
主人公は広瀬という大学生。教育実習のため、母校に戻ります。そこには高里という不思議な生徒が。
高里はどこか他人と違う雰囲気を持っています。皆から避けられている様子。
実は高里は、かつて神隠しにあった経験があるのです。一年間行方不明だった彼は、その時の記憶を覚えていません。そんな不思議な経験を持つ高里には、彼をいじめたりすると祟りにあうという噂があり、皆が近づきません。
広瀬は祟りなど信じていませんが、教育実習期間中に、高里のまわりで不可解な事故が続出します。そしてついには人が死ぬ事態に。
基本的には高里をめぐる秘密が徐々に明らかになり、「十二国記」のストーリーへと繋がっていく構成になっています。
「魔性の子」はファンタジーというよりも上質のホラー
「十二国記」はいわゆるファンタジー小説として扱われていますが、この「魔性の子」はかなりホラーテイストが強かったです。
かなり残酷な描写で人死にがでるし、それが子供といえども容赦はありません。
高里に害をなしたものは、その大小に関わらず不可解な事故に遭い、次々と死んでしまう。
ラストの方までその具体的な原因や、事故に遭う基準というものが明確になりません。「魔性の子」は全体的に薄気味の悪い雰囲気につつまれており、ファンタジーというよりもホラー小説に近い仕上がりになっています。
高里に何か仕出かすと、悲惨な目にあう。しかし、線引きが曖昧で、もしかすると話しかけただけでも何か起こるのではないのかという恐怖も。彼に接する人々が、それがたとえ高里を想いやった接し方だとしても、いつ事故にあうかわからない、そんな危うさが常にあります(参考:「鬼談百景」小野不由美の百物語がべらぼうに怖い【短編ホラー集】)。
高里の意思に関係なく起こる殺戮
高里の周りで起きる、人死にまで出る事故。その原因は高里を守る、「あるもの」の影響で起こっています(感覚的に、「ジョジョの奇妙な冒険」のスタンドみたいな)。
その「あるもの」は高里にはコントロール不可の状態。高里が被害を受けたと、「あるもの」が判断すれば、それは害をなした対象に攻撃をしかけます。
それは善意、悪意関係なし。高里の意思もまったく関係なし。「あるもの」が受け持つ命令に従い、善悪、害の大小関係なく高里に害するものに対して攻撃を行い、次第に殺戮の域にまで達していきます。
コントロールできないものの怖さ
「あるもの」の行動原理は高里を守るということ。極めてシンプル。
しかし、このシンプルな行動原理に感情はなく、機械的な判断基準で殺戮を行うところに怖さを感じます。
たとえ高里を守ろうとした相手に対しても、「あるもの」がその行為を害であると判断したならば、その相手は攻撃される。そういうコントロール不可の状態。
そうした中で、徐々に高里は世間から耳目を集め、糾弾されていくように。恐れ、迫害など、彼の居場所はどんどんと無くなっていきます。
どれだけ世間からの罵倒や迫害を受けても、教育実習生の広瀬はひたすらに高里を守り続けます。
この世界の人間ではないという感覚
広瀬自身、過去に臨死体験があります。それがあるからこそ、自分はこの世界の人間ではないという感覚も。また学生時代周囲の人間と馴染めなかったことから、高里にシンパシーを感じていました。
「高里は俺と同じだ」。そういう心情があるからこそ、どれだけ危険な目にあっても高里を守り続けたのです。
しかし、ラストにかけて、それは誤りだったことに気づきます。本物と偽物との隔絶とでもいいましょうか。高里と広瀬がまったく違う「モノ」であると悟ります。
私にとって「魔性の子」の一番の見所は、ラストの広瀬の心情にあると思います。
自分はこの世界の人間ではなく、想い憧れている世界こそが本来いる場所である。しかし、どこかでそれは空想にすぎないと理解している。
同じく、そういう心情を持っており、理解しあえると思っていた仲間が、実は本当にこの世界の住人ではないとしたら。
広瀬の心情。絶望と諦め
自分が感じていたものは空想であり偽物であるし、それは理解している。しかし、自分と同類だと思っていた仲間は本当にこの世界の住人ではなかった。彼こそは本物なのである。ではなぜ、自分は本物になれなかったのか。ラストに訪れる、広瀬の絶望と諦め。
この広瀬の絶望と諦めの部分は、シチュエーションこそ違えど、読者にも人生の岐路において少なからず体験するであろう感覚であると感じました。
成長過程において、手放さなければならないピュアなもの。リアルを目の前にした時、その大事だと思っていたピュアな部分は、自分にとって本物ではないと悟り、捨てざるをえない(しかし、捨てることで前に進めることもある)。
うまく言葉に言い表しがたい感覚ですが、「魔性の子」のラストの広瀬の心情は、そういうものを象徴的に表しているようにも感じました。
異世界から帰ってきたもの
「魔性の子」で一貫して描かれているものの中に、異世界からこちらの世界に帰ってきた者が感じる、この世界への違和感があります。
この世界になじめない、しっくりとこない。高里の場合は、神隠しの間の記憶が無いので、その原因すらわからない。
そういった、表層化されていないような苦悩が高里から常に感じられました。
以前読んだ「不思議の国の少女たち」という小説では、そういう異世界からこの世界に戻ってきた少女たちの、その後の生活が描かれています(参考:「不思議の国の少女たち」不思議の国から戻ってきた少女のその後は?)。
彼女たちのほとんどが、異世界での生活に戻りたいと切望していましたが、高里の中にもそれが感じられました。
最終的に元いた異世界(十二国)へと戻る高里はどのような人生が待っているのでしょうか。
ラスト、いよいよ「十二国記」とのリンク
「魔性の子」は現代社会の中で起こる出来事が描かれており、正直ファンタジーテイストは薄いです。どちらかというとホラーテイスト強め。
しかし、ラストのラストでようやく「十二国記」本編とのつながりが出てきます。
私もまだまだ、読み始めたばかり。このお話がどのように展開していくのかわかりませんが、小野不由美さんの筆致を知る限り、期待が膨らむばかり。
【次巻についての記事】:「月の影 影の海」小野不由美が作り出す「十二国記」の緻密な世界観