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感想「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は映画と別物の面白さ

感想「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は映画と別物 読書録

「いつか読んでみよう、読んでみよう」と思いつつ、手を出せない本って皆様にもあるかと思います。

私にも何冊かそういう本があるのですが、本日ご紹介するのはそのうちの一冊「アンドロイドは電気羊の夢をみるか?」。

最近思いったって手をとり、読了したのでその感想などを書いていきたいと思います。

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感想「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は映画ブレードランナーと別物として楽しむべし

ご存知「ブレードランナー」の原作

さてさて、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」。作者はフィリップ・K・ディック。超有名な近未来SFの傑作「ブレードランナー」の原作として有名な作品です。

私の周りに限って言えば、「ブレードランナー」好きの人は多いですね。私がこの作品を最初に知ったのは、大学の授業。おそらく「基礎デザイン学」みたいなのだったと思いますが、冒頭のシーンを授業で観せられました。近未来をディストピア的な表現で描いた傑作として紹介されたような気がします。

私も「ブレードランナー」は好きです。特に近年に公開された続編「ブレードランナー2049」などは近未来の暮らしを見事に描いているし、映像やストーリーも含めて傑作だという感想を抱いています。都市の描き方とか他に類を見ないリアルな感じがいいですね。いかにも「想像して作り上げました」的な感じじゃなく、現代の時間軸が進んでいって自然にそうなった的な風情が感じられます。

そんな「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に手を出さなかったわけはもろもろありまして。。。

原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」に今まで読んでこなかったわけ

問題

「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」をこれまでに読んでこなかったわけ。単純に周囲の評価が良くなかったからです。

身の回りの読んだことある人からは「別に読まなくていいよ。ブレードランナーを期待して読むとがっかりするよ。」的なことを聞きました。また、翻訳そのものがあんまり良くないという評判も。

他にも世界観や設定、内容が難解だという評判もちらほら聞き、すごく気になってはいるんだけれど読まずにいた日々が長かったです。

「高い城の男」を読んだのがきっかけ

そんな「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読むに至った経緯。それは同じくフィリップ・K・ディック作の「高い城の男」を読んで面白かったからです。

「高い城の男」は第二次世界対戦で、ドイツと日本が勝利した架空の世界を描いた物語。なかなか難しい部分はあったものの、興味深い世界観とそこに込められた存在への意味的なものに惹かれ、満足できました。

ちなみにNetflixで「高い城の男」の実写ドラマがありましたが、こちらは私的にイマイチ。映像と小説では面白さの差は別物であるなと痛感。

(関連記事:【考察】「バード・ボックス」あれの正体は何なのか?

それならば、「ブレードランナー」の原作「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」も結構楽しめるのではと思い、読み始めた次第です。

正直、冒頭で読むのをやめようかとも思った

「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読み始めた当初、正直なはなし冒頭のあたりで読むのをやめようかとも思いました。

「ブレードランナー」と世界観が違う!映画の世界観が頭にあり、主人公のリック・デッカードはハリソンフォードのイメージがこびりついているので、どうも小説のデッカードにしっくりきません。

映画では雄々しいイメージがありましたが、小説の冒頭のデッカードは世間や生活を気にする小市民的なイメージ。それがどうしてもしっくりこず、もう読むのはやめようと一旦本を置きかけました。

しかし、もしかしたら、この先面白くなるかもと思い、なんとか続きを読むことに。

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ぐいぐいはまっていく「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界観

「ブレードランナー」レイチェルイラスト

ある程度読み進めると、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」の世界観にぐいぐい引き込まれていきました。

特にデッカードがローゼン協会に出向き、レイチェル・ローゼンにフォークト=カンプフ検査(アンドロイドか否かを調べる検査)を行うあたりから面白くなってきます(ちなみにアンドロイドosスマホのnexusシリーズはこの作品からきているらしいです)。

小説という、想像力に依存するメディアだからでしょうか。双方の淡々とした検査のやり取りは、映画よりも面白みのあるものに感じます。

この、人間と人間そっくりのアンドロイドが存在する世界。見ただけでは双方の違いがわからず、また擬似記憶によってアンドロイドが自分は人間だと信じ込む場合もある世界。

そんな中において、人間が人間である確証への疑惑などが随所にあり、また哲学的な部分なども多く、そういった世界観がこの小説の醍醐味だと感じました。

デッカードは人間か?アンドロイドか?

悲しみと絶叫

映画ではあまり感じなかったことですが、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を読んでいると、果たして主人公のリック・デッカードは人間なのかアンドロイドなのかという疑念が強く湧いてきました。

フォークト=カンプフ検査が完璧なものではないという不安定さ。そうした中で、人間とアンドロイドとをわける確固としたものがなく、存在の確証が揺らいでいきます。

特に、デッカードが一度捕まるシーン。最終的にはアンドロイドの共謀によってのことでしたが、このシーンで植え付けられた、デッカードへのアンドロイド疑惑は読了後も続くように仕掛けられている気がします。

「アンドロイドではない」という確証はどこにもないのです。もしかしたらデッカードは擬似記憶を植え付けられた、バウンティ−ハンターとして存在するアンドロイドなのかもしれません。

読んでいると、そもそも人間が人間である証拠は何なのだろうかなど、哲学的な考えが頭を渦巻いていく感覚もありました。結局、答えは出ないんですけどね。

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感想。「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は映画とは別物として読むべし

読了後の感想としては、とても興味深い小説でした。

SFという世界観の中に、人間の存在とは何かというテーマが巧みに組み込まれており、読了後も色々と考えさせられる作品です。

今読むと、いかにも昔の人が考えた近未来の世界だなというデバイス(映話や情調オルガンなど)が色々と登場しますが、それもこの世界観の面白さに一役買っています。

ただ、映画と照らし合わせて読むと、どうしても「これじゃない感」が出てきてしまうかもしれません。

特に、デッカードとレイチェルはあまりに「ブレードランナー」のイメージが強いので、ちぐはぐさを感じる人も多いでしょう。

私的には、思い切って映画の「ブレードランナー」と「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」は別物として捉えて読んだ方が楽しめるかと思います。

頭の中から映画の世界観や俳優陣のイメージはすっぱりとっぱらって。

フィリップ・K・ディックの哲学的で人間の本質に迫った唯一無二のSFの傑作を楽しんでみてはいかがでしょうか。

(ちなみにこのハヤカワ文庫から出ている、フィリップ・K・ディックの作品の表紙すごくかっこいいので大好きです!)

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