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【嫌われる勇気】他人の課題に振り回されないための「課題の分離」

カップルよく寝る本

本日も快眠を目指すため、寝る前読書にぴったりな本をおすすめします。

眠れない夜というものがあります。

そういうときは大抵、日中の何かが影響しているもの。

朝遅く起きすぎた、昼寝をしすぎたなどでしたら可愛いものですが、仕事で嫌なことがあった、友達と喧嘩した、家族にトラブルが起きたなどでしたらちょっとしんどいですよね。

私も仕事上で嫌なことがあった日などは特にもんもんとする場合が多いです。頭の中で考えるのをやめようと思ってもつい考えてしまう悪循環。

私の場合、そういう時にはサウナに行ったり、瞑想したり、自然が多い場所で散歩したり、そして何か人生に関する本を読むことでかなり楽になります(参考:【瞑想】スマホの無駄アプリを停止するように雑念をなくしてみる)。

今回紹介するのは、そんな人生に関する本として「嫌われる勇気」を紹介したいと思います。

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多くの人の価値観を打ち壊した本「嫌われる勇気」

アマゾン長期ベストセラー

数年前に発売された「嫌われる勇気」。アドラー心理学というものを、哲人と悩める青年の対話を通して知るという流れになっています。

この本、アマゾンでもずっとベストセラーにランクインしています。レビューも2018年現在で驚異の2000越え。しかも星は4以上です。発売されてからこれだけの期間ベストセラーを維持しているのはそれだけ「嫌われる勇気」を評価する人が多いということでもあります。

「嫌われる勇気」で価値観がひっくりかえる

驚くイメージ

私も話題になってから手に取ったのですが、その内容に驚かされたのを覚えています。

今まで知っていた心理学などとはまったく違うアプローチ。そもそも「嫌われる勇気」に出会うまではアドラー心理学というもの自体知りませんでした。やや過激で極論とも言える内容ですが、読むほどになるほどと思わされるものがありました。

読み手をかなり選ぶ本ですね。受け入れられない人にはまったく受け入れられない本だと思います。それは人によっては今までの常識をすべて捨て去らねばならないほどの、ある意味ドライとも呼べるようなあり方だからです。

「嫌われる勇気」の中で青年は哲人に対し、反論し続けます。そんなことは綺麗事だ、詭弁だ、間違っているというようなことをいい続けます。この青年の言葉はまんま読者の気持ちをストライクに反映しており、その的確な疑問に対し、アドラー心理学に基づき見事な答えを哲人がくれるところに「嫌われる勇気」の魅力があると思います。

他人の課題に振り回される人へ。対処方「課題の分離」

「課題の分離」という概念に救われる

 

分離イメージ「嫌われる勇気」の中には様々に役立つ考え方、あり方が記されていますが、その中でも私は課題の分離という考え方に特に救われました。

例えば仕事のなかで、仕事がうまくいかず上司がガミガミと怒ってくるとします。そうした場合、人は私が怒らせてしまった、私が悪いんだと思い傷ついたりへこんだりします。しかし課題の分離に照らし合わせれば、上司が怒っているのは上司の問題(他人の課題)であり、私にはどうすることもできない。むしろどうにかしようとする必要はないとあります。他人の課題は自分の課題でないことを理解し、抱え込まないことが課題の分離の出発点だと思います。

また、相手が怒ってこちらをへこませよう、傷つけようとしていたとした場合、それをしているのは他人の課題であり、それを受け入れる必要はないとのこと。他人の課題に介入しないように、こちらの課題に介入させないようにすることも重要です。

これにはハッとさせられました。誰かを怒らしてしまったり、悲しませてしまったりした時は罪悪感を覚え、そのあと自分に対し「どうしてあんなことをしたのだろう」、「なぜあの人はあそこまで怒るのだろう」など相手の感情と自分の行いとをリンクさせて悶々としてしまうことが多かったからです。これは他人の反応を気にする人によくあることではないでしょうか。

たしかによくよく考えれば、たとえ私が何かをして相手を怒らせたり、悲しませたりしたとしても「怒る」、「悲しむ」を選択したのは相手なのです(他人の課題)。別にそれを選択しないという方向性もあったはずなのです。相手が選択したものについてはどうしようもないのです(それを解決すべきは他人の課題であり、自分のことと分離して捉える)。他人の反応に対し、気を使う必要はないのです。

当たり前ですが、わざと相手を怒らせたり、悲しませたりしてもよいということではありません。しかし完全に正しい行動というものはなく、不意に自分の行いで相手が気分を害すということはありうる事なのです。それに対して他人の反応にいつまでも気を使うのはこちらにとっても害にしかなりません。

「課題の分離」を理解し、他人の課題を気にしなくなる

自分でコントロールできるものとできないものを見極めるということ。相手が選択したことについては自分がコントロールできるものではなく、こちらは介入しないというあり方。

「課題の分離」は一見ドライな考え方のようにもみえますが、他人の反応で下手な罪悪感を抱え悶々とし自分で苦しむよりはよっぽど健全的な行いであると思います。

このように他人の反応に敏感で気を使い苦しんでいるひとには「課題の分離」はかなり救いになる考え方だと思います。誰かが不機嫌だろうと、怒っていようと、悲しんでいようと、それはその人、つまり他人の課題であって私の課題ではないのです。他人の課題をわざわざ自分のところに抱える必要はないのです

「課題の分離」を実践した結果、相手はこちらを嫌うかもしれません。しかしそれに恐れていては自分の人生をすり減らす事になります。いつまでも他人の反応を気にして神経をすり減らすよりは、嫌われることもあるということを受け入れた方が楽かもしれません。おそらく「嫌われる勇気」というタイトルはこの部分にあるのでしょう。

私も他人の反応を気にする方の性質だったので、「課題の分離」を知ってかなり気が楽になりました。

どういう風にしたって、意見や認識の食い違いで相手の心証が悪くなるってことはありうるのです。しかし、相手の反応を自分と切り離すべきことと知ることで、相手の反応を気にしすぎて自分にダメージを蓄積するという不必要な行いはなくなります。

私もまだ、完全にこの「課題の分離」を自分のものにし、実践できているわけではありません。しかし他人の反応で自分が傷ついたりへこみそうになる時には、この考え方を思い出すよう心がけています。

※相手がポジティブな形でこちらへアドバイス(介入)などを行った場合「課題の分離」はどうなるか。わかりやすい答えがあったのでリンクを貼ります。

アドラー心理学の課題の分離が理解できません。例えば仕事を積極的に教えてくれる先輩はとてもありがたい存在であり、そういう存... - Yahoo!知恵袋
アドラー心理学の課題の分離が理解できません。例えば仕事を積極的に教えてくれる先輩はとてもありがたい存在であり、そういう存在を無視しろという考え方ではないことは分かるのですが、ならばどう納得すればいい のかが分かりません。どなたか教えていただけないでしょうか。 正確には「課題の分離」という概念になります。まず、先輩の立場

「嫌われる勇気」を読んでアドラー心理学を取り入れる

気持ちが楽になるイメージ

私の文章では「嫌われる勇気」に書かれているほんのわずかなことしか伝えられていません。

「課題の分離」には他にも様々に、自分の価値観をゆるがす考え方などがちりばめられており、人によっては劇薬のようなショックを受けるでしょう。

しかし、ある種の人にとっては「嫌われる勇気」の中に人生でしんどいと思っている事象の解決のヒントが散りばめられているとも言えます。

特に他人の反応に敏感で気を使ってしんどい人にはアドラー心理学で新たな価値観が期待できるかもしれません。

少しでも気を楽に、そして人生に対して新しいあり方を胸に。「嫌われる勇気」やアドラー心理学を知ることでそんな気づきが得られる事を願います。

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