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Netflixは映画作りを変えるのか?

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Netflixの魅力。それは有名監督などの最新作をいの一番で観れること。しかもNetflixに加入していないと観ることができないという特権感すらあります。

その一方で、この素晴らしい作品を劇場で観ることはできないのかというジレンマも。

そういうジレンマをはらみつつも、新しい時代における映画のあり方を提示してくれているNetflixについて思うことを書きました。

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Netflixはジレンマこそあるが、新しい映画のあり方を見せてくれる

映画監督は劇場で公開したい

下記の記事に、先日Netflixで公開されたアイリッシュマンに関する記事がありました。

Netflixが支えた『アイリッシュマン』と、マーティン・スコセッシの「理想」とのギャップ:映画レヴュー|WIRED.jp
マーティン・スコセッシが監督したNetflixの映画『アイリッシュマン』は、アル・パチーノやロバート・デ・ニーロなどの大物俳優による圧倒

その中で、マーティンスコセッシに関する記事が印象的だったので引用します。

スコセッシがNetflixでの映画制作を選んだことで、彼は問題を大きくしているだけである。同じ寄稿のなかで彼は、小さなスクリーンのために作品をつくりたい映画製作者などおらず、『アイリッシュマン』はもっと多くの映画館で上映してほしかったと認めている。映画館こそが「映画制作者が自らの作品が上映される場所として意図したところなのだ」と。

私は映画が好きです。映画館で観るのも、家で観るのも大好き。でも、できれば劇場で観たいというのが本音のところ。

その作品が、少なくとも映画ということを前提に作られているのならば、その本質と本来の感動を味わうためには劇場で観るのが最適だからです。

上記の記事では、マーティンスコセッシの映画を作りたい欲と、それを作らせてくれるNetflixのビジネスモデルとのギャップからのジレンマが見て取れます。

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自宅で気軽に映画を観ることのできるNetflixには感謝

Netflix。数ある映画、映像配信サービスの中でも、私は群を抜いて素晴らしいと思っています。

何が素晴らしいかって、オリジナル作品のクオリティが高い。一昔前のオリジナル作品や独占配信みたいなのは、正直しょうもないものが多かった気がしますが、Netflixにおいてはそんなことはありません。

マーティンスコセッシの「アイリッシュマン」、コーエン兄弟の「バスターのバラード」、サンドラブロック主演の「バードボックス」など有名監督、有名俳優女優を惜しげもなく起用して、クオリティの高い作品を連発しています。
参考
【感想】「アイリッシュマン」は名優たちの演技が素敵すぎる!
【感想】「バスターのバラード」コーエン兄弟の短編ブラックユーモア
【感想】「バスターのバラード」コーエン兄弟の短編ブラックユーモア

なかでもNetflixが配給権を持っている「ROMA」などはアカデミー賞(外国語映画賞)も受賞しています。
参考:「ROMA」感想。人生の悲喜こもごもと美しさ

考えてみれば今の時代は素晴らしい。自宅にいながらにして、世界中の素晴らしい映画をリビングで気軽に楽しむことができるのですから。返却しに行く必要もなく、Netflixに関しては月額制なので見放題。しかも、有名監督の最新作がいの一番で観ることができる。最高じゃないですか!

そもそも映画館がない

先ほどの記事の、「映画館で上映させたい」というマーティンスコセッシの嘆きもわかります。Netflixというもののビジネスモデルは、加入者を増やし、そもそも自宅で映画を見てもらうことが前提のシステム。自宅で、良質な映画を観ることができるということで、規模を拡大してきたビジネスです。

多少映画館での上映は行う場合もありますが、その数は決して多くはありません。たとえば、先述の「ROMA」など素晴らしい作品ですし、アカデミー賞までとったのに、日本での映画館公開はわずかでした。

映画館での上映という問題。そもそも、世界的に見ても映画館というのは減っている産業なのかも。

60年あまりの間の映画館数の変化をグラフ化してみる(最新) : ガベージニュース
庶民の娯楽の代名詞的存在の一つ、映画館における映画観賞。独特の雰囲気の中で巨大なスクリーン上に展開される映像は、老若男女を問わず心を弾ませ、ときめかせてくれるもの。一方、インターネット技術の進歩と家庭用テレビの大型化・高解像度化、さらにはスマートテレビ化

私の住む町でも、数十年前までは4軒の映画館があったそうです。しかし、今は一つもありません。一時間かけて、隣の県の映画館まで観に行かなければいけない状態。

これが世界的な流れだとしたら、劇場公開を前提に映画を作るというこれまでの常識も、もはや通用しなくなってきているのかもしれません。

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映画もビジネスからは避けられない

再度アイリッシュマンに関する記事からの引用です。

『アイリッシュマン』は、世界中の映画館の大きなスクリーンで上映できたかもしれない。だが、そうすることで予算が削減されたり、上映時間の妥協につながったりしたかもしれない。
ネットフリックスがスコセッシの願いを聞き入れ、作品を独占配信する前にもっと長く映画館で上映するのを許した可能性もある。だが、それはNetflixの潜在的な契約者を失うことを意味したことだろう。映画はアートギャラリーではない。映画制作には妥協が必要なのだ。

そう、映画はアートではないのです。そこにはスポンサーやお金を出す人との兼ね合いがあり、それに従わざるをえない場合がある。ビジネスなのです。

「アイリッシュマン」は素晴らしい作品でした。しかし、その長さは三時間半以上あります。二時間前後の上映時間が一般的になりつつある現代において、三時間半続くギャング映画というのは、興行的にも多少リスキーな感はありますね。おそらく、Netflix以外の映画会社ならば、もっと短くすることを要求したはずです。なぜなら、ビジネスなのですから。

しかし、Netflixはその部分を許した。潤沢な費用で、デ・ニーロやアルパチーノなど素晴らしい俳優、最高の機材を使い、マーティンスコセッシの思うような映画を作らせたはずです。

Netflixのビジネスモデルからすると、劇場公開本数こそ少なくなってしまいましたが、作品としては素晴らしいものが、後の世に残ったのです。

映画館では出来ない映画をつくるNetflix

「アイリッシュマン」のように三時間半超えのギャング映画を作る。これは劇場公開を見越すならば、なかなかこれからの時代難しいかもしれません。

しかし、Netflixのように、自宅で観ることを前提とするならば、たとば2回にわけて観るというやり方だってユーザー側はできるのです(スコセッシはそれは望まないでしょうが)。

Netflixにはお金があります。映画館やテレビでは制限のかかるようなものだって、作ることができるのです。
参考:感想「全裸監督」あらすじと規格外の面白さについて語る!

とすれば、今まで見ることのできなかった、新しい映画の形はNetflixのようなビジネスモデルから生まれる可能性は高いのではないでしょうか。

もちろん、基本的に映画館上映を前提としないというジレンマこそありますが、新しい時代の映画がどうなるのか今後ますます楽しみです。