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映画「タクシードライバー」ラストの解釈と感想

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最近、映画「ジョーカー」が公開されました。

私はまだ観ていないのですが、これまでのアメコミ映画やバットマン作品とは一線を画す、かなり刺激強めな作品見たい。twitterなどを見ていても賛否両論で「ものすごく良い」という人もいれば、「全然よくない」という人もいます。

その良い、良くないの論点となっているのが、ジョーカーが狂気に苛まれていく部分だそう。その部分をどう見るかで、あの映画の感じ方は変わってくるみたい。

「ジョーカー」の内容について、話題に上ることの一つに映画「タクシードライバー」と「キングオブコメディ」があります。

人間の持つ狂気をテーマにしているという点で、これらさん作品は比較されるのでしょうか?というのもどれもまだ観たことがなかったので、今回映画「タクシードライバー」を観てみることに。

その感想と、ラストへの私なりの解釈なども記したいと思います。

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【感想】映画「タクシードライバー」ラストはどう解釈すべきか?

映画「タクシードライバー」のあらすじ

映画「タクシードライバー」は監督マーティン・スコセッシ、主演にロバート・デ・ニーロという組み合わせ。

そのあらすじをば簡単にご説明。

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ベトナム帰還兵のトラビスはタクシードライバーをしている。彼はひどい不眠症に悩まされていた。

トラビスの受け持つ地区は、治安が悪く、ドラッグや売春婦の巣窟。彼は、そんな社会に辟易し、消えてなくなればいいとすら思っている。

そんなある日、時期大統領候補のパランタイン氏の選挙事務所でみかけた女性に一目惚れ。なんとか映画デートにこぎつけます。

それからしばらくして、仕事中のトラビスのタクシーに、少女売春婦のアイリスが逃げ込んできます。彼女は一瞬トラビスに助けを請いますが、ポン引きに引き摺り下ろされてしまうことに(この瞬間が、今後のトラビスに深く影響することに)。

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映画デートの日。こともあろうに、トラビスはポルノ映画をチョイスしてしまい、こっぴどく振られてしまいます。何度も許しを請いますが、彼女はトラビスと距離を置くことに。それに激昂したトラビスは、彼女の仕事場にまで乗り込んでしまい、追い出されることに。この辺りから、少しずつトラビスはおかしくなり始めます。

自分の今の現状、ゴミだめみたいな街へのストレス。そのストレスにトラビスは蝕まれていたのです。トラビスは闇のバイヤーから拳銃を買い、また、少女売春婦のアイリスと接触を持つところから、事態は急転しはじめます。。。

以上が簡単なあらすじ。少女売春婦役のアイリスは若い頃のジョディーフォスターで、こちらも注目!

感想「タクシードライバー」のラストへの解釈

ここからはラストへのネタバレも含みます。

少女売春婦のアイリスに接触し、彼女を組織から足抜けさせようとしますが、彼女にはその気がないみたい。トラビスは自身の力で、このゴミだめみたいな世の中を変えようとしたのでしょう。アイリスの足抜けはその一歩だったのかもしれませんが、それもうまくいきません。

トラビスは、拳銃を持ち、頭をモヒカンにしてバランタイン氏の演説会に出かけます。演説会が終わり、バランタイン氏が退場する間際、トラビスは胸の拳銃を手に取ろうという仕草を見せます。しかし、SPに見咎められ逃走するはめに。

その後に訪れたのは、売春窟。アイリスのポン引きに声をかけ、いきなり銃を発砲します。そのまま建物に入り、アイリスの元へとズカズカ進むのですが、ポン引きも発砲。トラビスは首に重傷を負うことに。その後も何人かの売春組織のメンバーに狙撃し、されを繰り返しアイリスの元へ。彼女は悲鳴をあげながら後ずさりをします。その彼女の眼の前で、拳銃自殺を遂げようとするのですが、弾切れとなっていました。そしてその場に、騒ぎを聞きつけた警官が入ってきます。

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通常の映画ですとここで終わるかと思いますが「タクシードライバー」には続きがあります。その後、トラビスは売春組織から少女アイリスを救った英雄として、新聞に持ち上げられます。新聞記事の大写しが出たり、アイリスの両親からの感謝の言葉なども。

結果、トラビスは一命を取り留めて、再びタクシードライバーとして過ごすことに。仕事の最中、選挙事務所の女性が客として乗り込み、トラビスを見直したようなそぶりも見せます。その女性を、目的地でおろし、また夜の街にタクシーで繰り出すトラビス。ゴミだめみたいなネオン街とともに、「タクシードライバー」はラストを迎えます。

正直「なんだ!?このラストは?」という感想。なぜトラビスは助かったのか。そして、なぜ英雄のように祭り上げられながらも、またゴミだめのような街でタクシードライバーとして暮らさざるをえないのか。

悲しみと絶叫

まず、トラビスの狂気についてちょっと考えてみます。トラビスの狂気の元は、おそらくベトナム戦争での悲惨な体験とともに、極度の不眠、そして現状のストレスからくるものだったのでしょう。

鬱屈とした日々。眠れないし、疲れも取れない。一度、選挙事務所の女性とうまくいくかと思われたけれども失敗。期待した分だけ、余計落胆の度合いが強くなる。

誰も自分をわかってくれないし、世間は汚いし、誰もこの世の中を真実に良くはできない。ならば俺が成し遂げようではないかという、飛躍した狂気がトラビスの内面で起こったのではないかと考察します。

「タクシードライバー」を観て思ったのは、狂気というのはちょっとしたボタンの掛け違いが積もり積もって、現実との大きな乖離を生むのではないかということ。そのようなボタンの掛け違いも健康的なライフスタイルや人間関係があれば、それを見つめ直して修復できるでしょう。しかし、トラビスにはそれができなかった。自分の掛け間違えた考えが飛躍し、それが増幅することによって、最終的に襲撃という結末を招いてしまったのではないかと考えました。

この狂気を表現するのに、ゾッとしたシーンが二点。

まずは、トラビスが拳銃を一点一点丹念に調べあげていくところ。ギャングものの映画で、デ・ニーロが拳銃を持つ分には怖さを感じませんが、狂気に苛まれている男が拳銃を持つというシーンは、いつ暴発するのかという恐怖を感じます。

もう一つは、ポン引きの男に「イカれてないよな」と呼びかけれたシーン。トラビスは何も答えず、しばらく無言でポン引きを見つめ続けます。この重苦しい空気たるや。。。これも暴発を予感させる恐ろしさがありました。

サイコ

さて、「タクシードライバー」のラストの解釈。私なりにですが「世の中うまくいかない」というのが強く表現されているのだという感想を持ちました。

トラビスは自身の手によって、ゴミだめのような悪や腐敗を片付けようとしました。そして自分はこの世界から消え去ってしまおうと思ったのかもしれません。

しかし、トラビスは一命を取り留め、なぜか英雄扱い。そして、英雄扱いをされているにもかかわらず、ふたたびゴミだめのようなネオン街でタクシードライバーとして働き続けなければいけないというラストがまっているのです。

自分の人生と命をかけておこした行動。しかし、結果は何も変わらず、タクシードライバーとしての人生が続いていく。

もしかしたら、トラビスは自身の行動で、この世の中全体がひっくり返るようなことを期待したのかもしれません。しかし結果は「世の中うまくいかない」でした。

何も変わらず、ゴミだめのネオン街は相変わらずドラッグと売春にまみれ、そしてそこでタクシードライバーをし続けなければいけないというラスト。

思えば、トラビス個人の狂気だけではなく、社会が持つ恐ろしさのようなものを、この映画では描かれているのかと、そう強く感じました。