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【考察】ホラー作品の何に怖いと感じるのか?

廃屋の怪奇現象 読書録

私、映画や小説をとわずホラー系など怖いものが好きです(反面コメディも大好き)。

別にこれといって理由などはないのですが、中学生ぐらいのときからハマリはじめ、角川ホラーなどをよく読んでいました。おそらくきっかけは「リング」や「死国」などあの当時映画化された作品が数多くあったからでしょうね。

それから今にいたるまで、怖い系統の作品を楽しんでいるのですが、色々な作品に触れているとだんだんと怖い話ってなんだろうって思うようになってきました。

幽霊や怪物がでてくれば怖いのか?いや、そうともいえません。

一度、じっくり怖い話についての考察をしてみたいと思います。

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【考察】一体何に怖いと感じるのか?ホラー作品から考えてみる

ゾンビは怖いのか?

小さい頃はゾンビとかでも怖かった。たとえば小さい頃「バタリアン」などが金曜ロードショー系で放映されていましたが、怖くて観れなかったのを覚えています。

しかし、大人になってから観るとなんにも怖くない。たしかにホラー映画ではあるのだけれど、そこに怖いという感覚を覚えない(例外もありますよ!最近ですと「パンズラビリンス」という映画のペイルマンというキャラクターには怖さを感じました。参考: 「パンズ・ラビリンス」の考察とペイルマンの怖さ)。

おそらく、小さい頃はゾンビだろうがキョンシーだろうが、鬼だろうがなんだろうがそこにリアリティーを感じて、現実に存在するものだと思い込み怖さを感じるのです。

しかし、大人になった今、それらは実在しないとわかっていますし、あえて怖さを感じない。とすると現実に存在しない怪異現象を扱ったホラー作品はもはや怖くないのか?

しかし、そんな中でも「怖い!」と感じるホラー作品はたくさんあるのはたしか。そこで一度怖さについて考えてみたいと思った次第です。

今回の考察における怖さの範囲

今回は、あくまでホラー映画や小説などの創作作品における怖いという感情について考察してみます。

たとえば、実生活において身近な人の死や事故、事件などは怖いものです。それは自身の喪失や悲しみに深く直結した事象。

ホラー作品などに感じる怖いという感情とそれらとは、分けたほうがいいと考え、あくまで創作作品の範囲で考察します。

なおかつホラーでもサスペンスやサイコパスものなどではなく、どちらかといえば心霊現象をあつかった部類の作品の怖さについて考えようと思います。

最近、一番怖いと感じた作品「残穢」

ここで、私がここ最近で一番怖いと感じた作品のご紹介。それは小野不由美さんのホラー小説「残穢」です(参考記事: 「残穢」読了後に怖さの増すホラー小説と「穢れ」の概念)。

小野不由美さんモデルの一人称視点で展開される、ある部屋にまつわる怪異について迫っていくホラー小説。単にその場のみで解決されるものではなく、幾重もの階層を経ての怨念。

何よりも怖かったのが、穢れの概念。この穢れの概念は「残穢」で重要な役割を果たしていくのですが、これが怖かった。

なぜなら、私たちが生活を行う上で、これら穢れの概念は知らず知らずのうちに身につけているからです。例えば、身内で不幸があった場合には鳥居をくぐらない、喪中ハガキを出すなど。

そういう普段そこまで気にしていなくても、確実に身近にある穢れの概念を巧みに怪異と絡めたホラー小説。しかも穢れは他人に移るという考え方も紹介されており、次々に伝染していく類のものであるとも述べられていました。

自分の身に関係が出てくると急に怖くなる

「残穢」で特に怖かったのは、そこで描かれている怪異に迫っていくうちに、登場人物たちがそれらを扱った文章などからも穢れをうけ、体調を崩していくところです。

この作品が一人称語りで、しかもリアリティのある描き方だっただけに、この部分がとんでもなく怖かった。この小説を読んでいるだけで、自分にもこれらの怪異や穢れが伝染するんじゃないかという怖さがふつふつと湧いてくるのです。

もはや「残穢」という小説内部のことを飛び越えて、読者にまで関わりが出てくるような、自分の身に関係がでてきそうな描写にものすごく恐怖を覚えました。

ここでホラー作品に怖いと感じるポイントがあると思います。小説の中での出来事を飛び越えて、自分の身に関係しそうな描写が出てくると読者は恐怖を感じる。

例えば「リング」などでもそうです。呪いのビデオというものがあり、それを観てしまうと呪われてしまう。しかもその呪いは1週間という間をあけて実行される。

映画でも小説でもそうですが、登場人物と同じように観客、読者もその呪いのビデオに触れた感覚に陥ります。絶対そんなことはありえないんだけど、1週間後にこの登場人物たちと同じ目にあうのでは?テレビからあの恐ろしい貞子がでてくるのでは?1週間という間があくだけに、想像の余地が働いて非常に怖さを感じた思い出があります。

他の例でいえば、昔ポンキッキーズの1コーナー「花子さんがきた」で放映された「さっちゃんのうわさ」の回。トラウマ回として名高い作品。これも話を聞いただけでさっちゃんが夜中にやってくるという内容。

花子さんがキタ━━━(゚∀゚)━━━!!さっちゃんのうわさ

ホラー漫画の地獄先生ぬーベーでも「てけてけ」の回が同じように見聞きしただけで呪われる系だったのでものすごく怖かったです。

このように創作系でも、物語を飛び越えて自分に被害が及ぶのではというような描写があると、ホラー作品に一気に怖さを感じるようになると思います。

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多少の後味の悪さが怖い

男性

もう一つ、ホラー作品で怖さのポイントなるものに、多少の後味の悪さをあげたいと思います。

思いっきり後味の悪い、胸糞悪くなるようなものは嫌いです。そうではなくて、じわじわとくる、後味の悪さ。すっきりしない、作品が終わった後も不気味な余韻が残るものはじわじわとした怖さがあると考えています。

ここで、ひとつ怖い話をあげさせていただきます。作者は不明で、昔誰かから聞いた話ですが、多少の後味の悪さが効いた話です。

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昔ある小学校に、体の弱い生徒が通っていました。彼は病気がちで、運動などもあまり参加できませんでした。

6年生の時、小学校生活最後の運動会。生徒は徒競走に参加がしたいといいました。

そのころはだいぶ体調も悪くなっており、医者もやめるように言いましたが、その生徒はどうしても参加したいといいます。

生徒の思いを汲み取った医者や両親、先生が方は彼を徒競走に参加させてあげました。結果はビリでしたが、観客のみんなが手を叩きながら応援してゴールを祝福しました。

その数週間後。その生徒は息を引き取りました。もともと体調の悪化があり、自分の命が長くないことも悟っていたので無理にでも徒競走に参加したのだと思います。生徒は運動会に参加できたことに、とても満足して息を引き取ったそうです。

両親はその生徒が亡くなったことを学校に報告に行きました。先生方も生徒の死を悲しんでいました。

両親は運動会の時の写真が欲しいと学校の先生に言いました。運動会には地元の写真館の人がカメラマンとして参加しており、様々な場面を撮っていました。そして生徒のゴールシーンもきちんと写真に収めていたのです。

しかし、写真のことになると、急に先生方は顔をしかめました。写真を渡すことを渋ったのですが、両親の熱意に負けて、そのゴールシーンの写真を手渡したのです。

そこには生徒のゴールシーンが映っていました。観客の皆が手を叩きながら応援していた場面です。

その写真が撮られた瞬間。

偶然にも拍手をして応援していた観客全員の手が合わさった瞬間が撮られており、まるで生徒に合掌をしているように写っていたのでした。

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私は怖い話の中でもとりわけこの話に不気味さと怖さを感じます。

体が弱く、最後には亡くなってしまうけれども、運動会に出られて満足できた生徒。そこで終われば、悲しいけれどストンとした終わりになります。

しかし、そこでは終わらず、ラストにくる、後味の悪い終わり方。話のコントラストというか、怖くないような終わり方に見せかけて、ラストにこういう多少の後味の悪さを持ってくると、一気にその話に怖さが上乗せされます。

人の感覚を刺激する怖い話

昔に比べて、テレビなどのメディアでは心霊番組が減りました。雑誌とかでもそういう特集が減ったように感じます。

しかし、ホラーや怖い話がなくなったかというとそういうわけではなく、毎年多くの作品がリリースされています。

おそらくどれだけ時代が進んで、それが創作であるとわかっていても、人間の中に備わっている怖さを感じる部分を刺激したい欲求があるのかもしれません。

それは、そういう感覚を退化させすぎないようにする、セーフティー機能なのかなとも感じます。

人によっては好き嫌いあると思いますが、たまには映画や小説でホラーを観て、怖さを感じてはいかがでしょうか。

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