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【感想】小説「圓朝」落語の神様となった男の人生

小説「圓朝」落語の神様とされる噺家の人生 読書録

私の好きなものに落語があります。

もともとお笑いが好きなのですが、その中でも落語はただ面白いだけではない、味わいがある。

江戸や明治期の噺でさえ今聴いても面白い。同じ噺でも、落語家さんの技量でクオリティが全然違ってくる。

単純な笑だけではない魅力を含んだ落語が好きで、よく聴いています。現在放送中の大河ドラマ「いだてん」もオリンピックの話と平行して落語会昭和の大名人、古今亭志ん生の人生も語られるというから見始めたようなもの(参考:「いだてん」注目!たけし演じる志ん生がわかる「やっぱ志ん生だな」)。

さて、そんな落語の世界において神様と呼ばれる落語家さんがいます。その名は三遊亭圓朝。

現代まで続く落語の礎を作った男の人生を小説にした「圓朝」の紹介です。

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小説「圓朝」江戸から明治、落語の神様はいかなる人生を歩んだか

三遊亭圓朝とは

三遊亭圓朝とは江戸から明治にかけて活躍した落語家。

落語界においては神様とされており、現在でも年に一回「圓朝まつり」が催され、谷中の全生庵で落語家さんがその芸を奉納されています。

また、一般的に大師匠という言葉は自分の師匠の師匠を指しますが、東京落語界においては三遊亭圓朝も指します。それぐらい江戸落語にはなくてならない人物。

現在でもさかんに口演されている「鰍沢」、「芝浜」、「文七元結」、「怪談牡丹燈籠」、「真景累ヶ淵」なども圓朝の作。また、圓朝の落語の速記を参考に、作家の二葉亭四迷は言文一致の道を切り開いたともいわれており、近代小説にも大きな影響を与えた人物。

数多くの有名な弟子も輩出した落語家でもあります。

「いだてん」で松尾スズキが演じる橘家圓喬も、その弟子

NHKの大河ドラマ「いだてん」で若き頃の古今亭志ん生の師匠である、松尾スズキが演じる橘家圓喬も三遊亭圓朝の弟子です。

橘家圓喬が三遊亭圓朝を襲名する話もあったそうですが、自身の性格が災いし、立ち消えになったそうな。いろいろ調べてみるとかなり癖の強い人だったみたいです(ただし、落語はべらぼうに上手かったようですが)。

圓喬の前座名は三遊亭朝太。「いだてん」でも描かれていましたが、この名は古今亭志ん生の前座名に引き継がれています(ただし、史実でいえば志ん生は圓喬の弟子ではなかったそうです。しかし、志ん生自身は死ぬまで圓喬の弟子と言い張っていました)(参考:【いだてん】破天荒な噺家、古今亭志ん生の半生記「なめくじ艦隊」)。

小説「圓朝」の見所

そんな落語の神様と呼ばれる三遊亭圓朝の人生を描いた小説「圓朝」。

その見所は、現代でこそ落語の神と称せられているけれど、実際に生きていた時代の苦悩や挫折、成功などの人間味が描かれているところだと思います。

自分がトリをとる寄席で、師匠の圓生が先に自分が演じる予定だった噺を先にやってしまう。人気と実力があるのが災いしてか、師匠からの嫉妬と冷遇。

しかし、災い転じて福となす。このような経験があったからこそ、自分で落語を作るようになり、現代にまで残る「真景累ヶ淵」や「鰍沢」などの名作が生まれる土台となりました。

正直、落語ファンの方ならば、これまで様々な本で圓朝のエピソードや史実を知っているでしょうし、特に目新しい話題が出てくるというわけではありません。

しかし、これまでただ出来事として知っていただけのものと、「圓朝」で語られるようにストーリーが肉付けされているものとでは捉え方が全然違ってきました。

小説として読むことで、今まで漠然と、それこそ過去の名人としてしか認識してこなかった圓朝を血の通った、一人の落語家として捉えられるようになった気がします。

江戸と明治の落語界

江戸城のイメージ。

この「圓朝」の舞台は江戸の幕末あたりから明治にかけて。

すでにこの時代には寄席の形態がしっかりと出来上がっていることがわかります。

しかし、明治に変わり、文明開化で世相が変わる中で落語界にも変化の波が。

税金をかけられたり、演じる話に検閲がはいったりする事態に。そうした中で睦会(組合)が出来上がっていくところに、ある意味で江戸の自由さがなくなった瞬間だなとも感じました。

それと、江戸や明治の落語の特徴として、本書に出てくる噺に落とし噺のような笑いのあるものが少ないですね。

昔は人情話ができないと真打になれないと言われていたそうですが、圓朝の作品以外では聞きなれない噺がいくつかありました。題からして人情ものそう。

江戸や明治期では、客が落語に対して求めるものも、大分変わっていたのだなということもわかります。

噺も続きものが多く出てきます。テレビのない時代ですから、連ドラ的な意味合いで楽しんでいたところも多かったのでしょう。

【感想】圓朝の人生の浮き沈み

私は落語で言えば、どちらかというと軽くて笑える噺が好きなので、圓朝が残した作品、特に芝浜や文七元結のような人情話はあまり好きではありません。

しかし「鰍沢」や「真景累ヶ淵」、「牡丹灯籠」のような人のダークな面にしぼった作品は好き。

現代でいうところのホラーなどとはまた違う、人の怨念や妬み、欲、因果がうずまく噺は色褪せぬ恐怖を感じさせてくれます。

本書を読んであらためて、それは圓朝という人の人生の中で、様々に味わった苦渋や恨みなどが肥やしとなってできたもののような気がしました。

師匠から蔑まれ、弟子に裏切られ、悩みの尽きない息子にその産みの母、時代の急激な変化、自ら理想とする落語界と現実の齟齬。もちろん栄光の部分も多いですが、小説「圓朝」を読む限りそういう負の面こそが圓朝作品の原動力のような気がしてなりません。

今も語り継がれ、その作品が高く評価されている人は大勢いますが、その誰もが幸せであり、栄光を歩んだわけではありません。

苦難に満ちた人生の中で蓄えた、人生の深みと渋みのようなものが、人の胸を打つ素晴らしい作品に昇華されることだってあるのです。圓朝という人もこの類なのではないかなとも感じました。

落語の神様として、今でも尊敬の念を集める三遊亭圓朝。けっして穏やかではない人生の中で己の道を貫き通した、一人の落語家としての圓朝に触れられる一冊でした。

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