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「蘇る変態、」星野源のエッセイは下ネタ満載であった

星野源の下ネタ満載エッセイ「蘇る変態、」よく寝る本

今日も寝る前の読書にオススメの本を紹介します。

芸能人のエッセイというと色々ありますね。

歌手、俳優、芸人、タレントと様々あれど本業以外に意外な文才に驚かされることもあります。

エッセイなどを読めば、テレビなどでは見られない、その芸能人の内面が知れたような気がしてより身近に感じることも。

以前紹介した小林聡美さんのエッセイなどは、文章もテレビで見ているまんまだなという印象だし、オードリー若林さんのエッセイはけっこう抱えてるものがあったんだなという印象。どちらのエッセイもテレビの印象に近い感じを受けました。

そんな中、最近読んだのがミュージシャンであり俳優の星野源さんのエッセイ「蘇る変態、」。

他のエッセイでも知ってはいましたが、今現在テレビで出ている、かなり爽やかな星野さんとは全然ちがう内面暴露エッセイ。

結構前のエッセイなので、今はどうかわかりませんが星野源さんの創作や私生活、性的指向にまでせまるエッセイです。

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星野源のエッセイは下ネタ満載。だけども染みるものがある

今は爽やか星野源さん

ミュージシャン、俳優として大活躍の星野源さん。ドラマ「逃げるのは恥だが役にたつ」で歌手、俳優ともに大ヒット。

今ではどん兵衛やドコモのCM、ドラえもんの主題歌などメジャーな作品を数多く提供している言わずもがな人気者です。

やや地味目ながらも優しい顔立ち。俳優としては大人から子供まで人を惹きつける魅力を持っています。

一方ミュージシャンとしてもかつては「SAKEROCK」というインストゥルメンタルバンドのリーダを務め、独特の世界観のある音楽は今でも健在。

そんな芸能界爽やかランキング上位に食い込みであろう星野源さんのエッセイ「蘇る変態、」はうちに秘めたる狂気と下ネタで満ち溢れています。

好感度抜群の有名人エッセイだけど下ネタ満載

笑う女性

この「蘇る変態、」は内容としてはかなり赤裸々。

結構なパーセンテージで下ネタだし、自身の性癖なんかもオープン全開。爽やかで好感度抜群の有名人星野さんからの「昔、彼女とソフトSMを」なんて話は、一瞬ギョッっとしてしまいます。

野生。そんな感じがします。売れ始めて、いろいろ生活が変わる中でのエッセイ。

星野源自身のこと。クリエイターとしてのこと。創作の苦しみ。毎日の生活。大好きな下ネタ。そんなことをとにかく書き綴る。とりつくろってる感じのしない野性味あふれるエッセイ。

その内面は爽やかとは正反対のドロドロっとした、マグマのようなカオスのような、しかし「ここから何か生まれ出でるぞ」というような源のような生命力も。

下ネタとか満載なのに、読んでいると妙な活力のようなものがみなぎってくる不思議なエッセイでもあります。

星野源の下ネタや考察「エロについて」のエッセイ

「蘇る変態、」の中には幾つもエッセイが収録されていますが、「おっぱい」や「ぽっちゃり」、「エロについて」、「AV女優」など自身の女性観、エロ観についての言及や考察が結構多いです。

その中でもおもしろかったのが「エロについて」というエッセイ。むしろ考察?

AVというものの素晴らしさについてから始まり、なぜ女性はAVをみることすらも浮気ととるのかについて話は広がる。「セックスとオナニーは、別物なのだ」という持論から女性の化粧やエステと男性のオナニーは同じものだと言い放つ。

オナニーというものは自己を慰めると書いて「自慰」と呼ぶ。星野さん自身がかつて女装した時に「可愛いね」と言われて感じた快感から

女の子というものは、小さい頃から「可愛い可愛い」とおだてられ、それを全身に受け止めて育つだろう。環境にもよると思うが、可愛いと言われること、可愛くあろうとすることが、水を飲む、とか息を吸う、と同じように女の子には当たり前のことになってしまうのではないか。
(中略)そんな中で女の子が「可愛さ」を磨くということは、幼い頃から摂取してきた「可愛いね」という言葉を意識的に自分に与えさせようとする自己愛なのではないか。そして時には男という対象が消え、ただ己のために美を追求し始める。それも自らを癒す=自慰ということにつながるはずだ。

というわかったようなわからないような結論に達する。

このわかったようなわからないような、ある種しょうもないことについて、論拠をこねくり出し、なんとか結論づけようとする情熱に面白さを感じるのです。

「エロについて」というエッセイは、星野源さんのエロ原動力、面白原動力、クリエイター原動力の三つが合わさりできた素晴らしくくだらない(褒め言葉)エッセイだなと(星野源さんの曲で「くだらないの中に」という傑作があります)。

星野源 – くだらないの中に(Live at Osaka Jo Hall 2016)

星野源さんのくも膜下出血の記録

立ち上がるイメージ。

面白い、エロなどのエッセイだけではありません。星野源さんは30代の初めにくも膜下出血を患い、大手術を受けられています。

その記録が「蘇る変態、」に描かれていますが、これが読んでて辛かった。

術後の痛みの描写。ひたすら続く頭痛と吐き気。なにものもかなぐり捨ててしまいたくなるような苦痛と戦い続けた記録です。

くも膜下出血の苦しい手術に耐え退院するも、の術後再発。次の手術はかなり難しいものになり、それを引き受けてくれるお医者さんすらなかなか見つかりません。

それでも名医と出会い、手術と術後の苦しみに耐え、星野源さんは復活を果たすのです。

術後の苦しみのシーン。あまりの苦しさに死にたいとすら思ったそう。そんな中、テレビから自身の歌った曲が流れてきたそうです。

うるせえな。そんなこと歌われたら飛び降りることができないじゃないか。ここで死んだら、今まで応援してくれた人たち、そして自分の音楽を裏切ることになるじゃないか。俺はまだ死ねないのだ。これから、飛び上がるほどに嬉しいことが起こるはずなんだ。そんな日々が来ることを、俺は知っているのだ。

飛び上がるほどに嬉しい日々を信じて、苦しみを乗り越えた星野源さん。このエッセイが書かれたのはまだ「逃げ恥」がはじまる前のお話。

この後にドラマ「逃げ恥」や主題歌の「恋」の大ヒット、国民的歌手へ登りつめていくことを知っているからこそ、いっそうこの一文が胸に沁みました。

くも膜下出血を乗り越えて新たなステージへ

大自然の癒し

星野源さんの別のエッセイ(たしか「働く男」)に書かれていましたが、くも膜下出血以後過度なストイックさがなくなり、少し気軽に仕事ができるようになったそうです。

無理の積み重ねをやめ、余裕をもって楽しむことを覚える。

そういう余裕が、俳優としてもミュージシャンとしても人を惹きつける魅力のようなものに昇華されているのではないかなという気も。まさに「蘇る変態、」というタイトルにふさわしい生き様。

人生観の転換。星野源という素晴らしいアーティストの変化の軌跡にも立ちあえるエッセイかと。

下ネタと勇気と適度なくだらなさ。寝る前の読書にもおすすめエッセイ

「蘇る変態、」は結構下ネタが多いですが、それが大丈夫な人にはおすすめなエッセイです。

適度な笑い、下ネタがありつつ、そこには勇気であったり、星野源というアーティストの魅力が垣間見えるエッセイ。

特に、他の星野源さんのエッセイに比べると「蘇る変態、」はまじめとくだらなさの塩梅がいいかと。

適度に笑い、ばかばかしいなと心をほぐされ、創作や闘病の姿に勇気をもらう。

これもまた、寝る前の読書のおともにピッタリなエッセイです。