最近の子供は本を読まないと言われています。ネットでも見聞きしますが、教育関係の友人などに聞くと実際そうみたい。
私の友人には本好きが多く、その子供たちは比較的本を読んでいるようなので、やはり環境による差もあるのでしょうか。
今では、学校によっては朝のホームルームの10分間ぐらいに読書時間をもうけている、中、高校などもあるそうな。
10分って読書時間としてかなり一瞬みたいなもんですし、なかなか集中して読めるとは思いませんが。
そんな現状を踏まえて、最近目にしたのが「読書感想文は是か非か」というもの。
ツイッターなどで見ても賛成、反対両論わかれています。
反対論で一番目立つのが、読書嫌いを助長させるというもの。
はたして、読書感想文はいいのか、わるいのか。そのことについて考えてみます。
読書感想文の是非を問う。本当に読書(本)嫌いを増やしているのか?
学校での読書感想文
読書感想文。小学生の時は夏休みの宿題などで、中高生あたりの時には国語の授業で何度かやった記憶があるかと思います。
特に夏休みの宿題の場合などは課題図書などがだされ、それを読みなさいという指定も。
うろ覚えで恐縮ですが、夏休み前にリストを渡され、それを半ば強制購入だったような思い出があります。
小さい頃から読書は好きなほうでしたが、それでもあんまり読みたくない本を読まなければいけないのは苦痛でした。
しかもそのあとに読書感想文を書けという。
読みたくもなく、しかも読了後も大して面白いとも思わなかった本の感想を書くというのは本当に嫌だった記憶があります。
読書感想文反対派の意見
作家として、そして本好きとして言わせてもらうなら、読書感想文なんてものも廃止してほしい。ましてや大人が選んだ「課題図書」の感想を書かせるなんて! あれは百害あって一利なしだよ。本嫌いを育ててるだけ。
本の感想なんて、本当に自分で書きたくなった時に書くもんだよ。— 山本弘 『BIS ビブリオバトル部』 (@hirorin0015) October 16, 2016
読書感想文反対派の意見でよく見かけるのが半ば強制的な感想文は「読書(本)嫌いを増やす」というものです。
私はもともと読書好きだったので、読書感想文は嫌でも読書そのものを嫌いになることはありませんでした。
しかし、読書経験がほとんどなく、本そのものがあまり好きではない子が読書感想文で強制的に本を読まされたとしたらどうでしょうか。
私だったら、今まで以上に読書が嫌いになると思います。下手すると「読書=強制的に嫌々やらせるもの」みたいな感情がこびりつくかもしれません。
私は小さい頃体育が苦手でした。特に勝敗の分かれるスポーツなどは勝ちを周囲から求められるので、苦手なものにとっては苦痛。
現在は体を動かすことは嫌いではなくなりましたが、学校の授業の影響でそれすらも嫌な時期がありました。
自発的に体を動かすのは楽しいです。しかし学校による半ば「強制」の形の運動は苦手意識を増す要因だったように思います。ですので、読書感想文反対派の意見はよくわかります。
読書感想文賛成派の意見
読書感想文賛成派の意見でよく見かけるのが「読書習慣や文章力がつく」というものです。
読書感想文を否定する人はものすごく多いんだけど、文章力というものは基本的に読書でしか身につかないし、読書量をある程度底上げ出来て、一定のテーマに沿って短文をまとめる読書感想文は大変学習効果が高いので出来れば毎日でもやって戴きたい。なんで皆さん読書感想文を否定するのかむしろ不思議。 https://t.co/jynN34oSWx
— 社長 (@rafcocc) January 30, 2018
普段読書習慣の無い子は、放っておいても本を読まない。感想文賛成派の意見としては、学校の授業などでカリキュラムの一環として読書を取り入れることで読書習慣のきっかけになるというもの。
また、読書をすることで読解力がつき、それを感想文としてまとめることで文章力や自分の意見をまとめる能力も高まるのだとか。
たしかに、読書をすると色々なボキャブラリーも増えるし、知識や様々なメリットがあります。学校という教育機関では本から知識を得るという作業は重要な項目になってきますし、意識的に読書をする課題を作ることも必要なのかも。
また、その読んだ本の感想や意見をまとめるという作業も繰り返すことで文章力とともに思考や意見をまとめる訓練にもつながるかと思います。
読書感想文自体のメリットは大いにあるでしょう。
学校における読書感想文反対派。「何も思わなかった」は悪なのか?
色々意見はあるかと思いますが、私自身は学校における読書感想文反対派です。ここでは”学校における”という限定条件をつけさせてもらいます。
読書感想文自体には読書習慣や文章力、意見をまとめる力などが養えるなどメリットは多いでしょう。感想文を書くという行為自体は自らの能力向上の意味で賛成です。
ただ、学校において半ば強制的に読書感想文を書かせるというのは反対!多少なりとも読書嫌いを増やす要因になる可能性のほうが高いかと思います。
読みたくもない本を読まされて、なおかつ何も感じるところがなかったものの感想を求められる。苦痛以外のなにものでもないでしょう。
しかも、学校において「読書感想文の書き方」なるものを習った記憶がありません。「感じたことを自由に書きましょう」とか言われても途方にくれるばかりです。
「面白くなく、何も思わなかった」などと書こうものなら、国語の先生から減点されるでしょうし。そもそも読書をして「何も思わなかった」という感想を持つことは悪いことなのでしょうか?私だって得るもののあまり無い読書だって時々あります。
このような半ば強制的に読んだ本に、何も思わないという感想を持つのもうなづけることです。
もちろん少なからず読書習慣につながる子もいるかと思いますが、そういう子は人生のどこかのタイミングできっと読書好きになるはず。別に読書感想文がそのタイミングでなくてもいいのです。
しかし、読書感想文がきっかけで、より読書嫌いになるというデメリットは見過ごせません。
「読書」と「感想文」を一つにしなくてもよい
そもそも「読書」と「感想文」をそれほど結びつけなくても良いのかと思います。
たとえば、子供の読書習慣を増やしたいのであれば、読書の時間を設けたり、読書機会を増やすような方向性でいいのではないでしょうか。
本を読み、楽しむ。そこにどういう感想を抱いたかはその子の中で留めておけばいいはなしで、その感想をむりやり文章にさせる必要性は感じられません。
もし感想によって文章力、意見をまとめる力などをあげようとするのであれば課外学習などのレポートでも十分でしょう。
ようは何かを体験して感じたものを文章にするのが感想文。なにも読書と結びつける必然性はないのです。
読書嫌いを増やす懸念があるくらいなら、別の何かを体験した上での感想文の可能性を模索したほうが良いように思います。
少なくとも、社会科見学をしてその感想文を書かせたとしても、社会を嫌いになるきっかけにはならないでしょうし。
私の場合でいうと、いつのまにか文章力がついていた
読書感想文、私が初めて書いたものは小学校1年生の時の宿題。
夏休みの宿題で「かわいそうなぞう」について書けというものでした。私は一言「ぞうがかわいそうだった。」とだけ書いた提出した記憶があります。「何も思わなかった」というものよりは、少々ましなぐらいのもの。
それからの学生時代も読書感想文など大嫌いでしたが、今現在、こうして寝る前読書にオススメの本や読了して面白かった本などの紹介ブログを書けるぐらいの文章力はあります。
少なくとも、この文章力は学校の授業で身についたとは思っていません。個人的に好きな本を読んだり、仕事する上で身についてきたものだと思っています。
ここで教育システムを批判するつもりはありませんが、少なくとも読書感想文に関していえば、せめて小学生のうちは学校の授業や宿題としてやらせない方がいいでしょう。
読書の機会を作るのはいいとして、そこに感想文を求めない。まずは「読書の楽しさを知ってもらえれば良し」というぐらいでいいのかと。
そうやって「読書力」のようなものが身についた上で、読書の感想文に取り掛からせる流れが好ましいと思います。
読書感想文賛成派に面白い意見がありました
私としては学校における読書感想文は反対です。
もちろん色々な意見があっていいと思いますし、どれが正解かなんて、すぐに出るタイプの答えでもありません。
少なくとも、国語の教育に関わる先生方には深く議論していただきたい課題だと思います。
余談ですが、ツイッターで読書感想文賛成派の方の面白い意見を見つけました
読書感想文反対派が多いんだな〜私はあったほうがいい派だなぁ〜生きてく中で興味もないものに対して意見求められることあるじゃん?
— ゆャンガルルガ (@yue_kichi) October 17, 2016
確かに、社会に出て生きていく中で、自分のまったく興味の無いものに対して感想を求められる時って度々ありますよね。意見求められて「何とも思わない」なんて言おうものなら角がたちます。
心にもないようなことで取り繕うのも処世術。
読書感想文でいかに自分が思ってもないことを、それらしく書きつらねるかというのも処世術を磨く訓練なのかなって、ふっと思いました。
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