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人気落語家さんたちの十八番と工夫がわかる本「十八番の噺」

落語家の十八番とは ライフスタイル

日々の習慣。寝る前に読書をするのも好きなのですが、落語を聞きながら寝るというのも好きです。

目をつむって、寝る体制をとって、落語の気楽な世界に耳を傾けながら眠る。

特に、ちょっと頭がもやもやしている時なんかはとてもいい気分転換になって、寝付きやすくなります。

大学生ぐらいの時から落語が好きで、寄席や落語会に行ったり、歴史的な名人の音源を聴いたりと楽しんできました。

その延長線上で、落語に関する本などもよく読むのですが、先日読んだ本が落語家さんの噺への取り組み方や工夫がよくわかって面白かったので紹介したいと思います。

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人気の落語家、それぞれの十八番と、噺の工夫

人気落語家さんの「十八番の噺」とは

本書のタイトルは「十八番の噺」。十八番と書いておはこと読みます。つまり、得意な噺。

笑点の司会者で国民的に人気落語家、春風亭昇太師匠をはじめ、桃月庵白酒、柳家喬太郎、立川生志、林家正蔵と現代を代表する師匠方の十八番や落語についての思い入れや噺への工夫がわかる本(他にも柳亭小痴楽さんや柳家わさびさんなど若手真打や人気二つ目さんの十八番も)。

春風亭昇太師匠の十八番で言えば、自身の新作落語「ストレスの海」の他にもう一つ「権助魚」を選ばれているなどは結構意外でした。

たとえば春風亭昇太師匠などはテレビでの笑点のイメージが強いですが、寄席や落語会、独演会でしっかりと落語にも力を入れられています。

なかなかテレビなどではわかりませんが、芸人として、落語家としての本分がどのようなものなのかがわかる本にもなっています。

落語って同じ噺を何度も聴いて面白いの?

落語にあまり親しまれていない方の中に「落語って同じ噺をいろんな人がするんでしょ?同じ噺何度も聴いて楽しいの?」と疑問に思う方がいます(実際私も質問された経験あり)。

たしかに、いわゆる古典落語というもの、たとえば「寿限無」や「時そば」、「まんじゅうこわい」など、どの落語家さんが演じても基本的なストーリー、展開は一緒です。

しかし、演出の仕方は様々。たとえば「時そば」であれば、前半部分のそばをうまそうに食べるシーンに重点をおくのか、後半の1文ごまかそうとして失敗する部分に重点を置くかなどでも面白さに変化がありますし、ギャグの入れ方によっても面白さが全然違ってきます。

たとえば柳家小さん師匠の時そばなどはそばを食べるシーンが見どころですが、何かの本で、古今亭志ん朝師匠が「時そばは銭ごまかすところが要の噺だからあんまりそば食うところを魅せる必要はない」と言っていたという文章を見た記憶があります。

基本のストーリーは変えなくてもセリフの一つ一つをふくらましたり、削ったりするだけでテンポも違ってきますし、出てくるキャラクターの性格や雰囲気までガラリと変わることも。

もちろん、演者さん自身のもつキャラクターやフラ(持って生まれた可笑しみのようなもの)、芸のうまさによって同じ噺でも面白さに雲泥の差が現れるのです。

人気落語家の落語への工夫がわかる

同じ噺でも工夫によって面白さが全く違ってくる落語。

その点でいえば、落語家さんは脚本、演出、構成、出演、監督など様々なことをたった一人で引き受ける立場にもあります。人気の落語家さんともなれば、その工夫により力を入れているでしょう。

この「十八番の噺」ではそれぞれの十八番の紹介よりも、各人気者の落語家さんたちが、それぞれの噺への思いや工夫、こだわりなどが見て取れるところが面白かったです。

たとえば桃月庵白酒師匠など

私の「船徳」は、前半の、親方が船頭たちを集めるところをカットしてますけど、あれはちょっと削った理由が違います。(中略)船宿の若い衆がわいわいがやがやしているあたりはメインじゃないんだから「ステーキでるのにその前にベーコンたんまり出すことなかろう」みたいな感じですかね。「舳先欠いちゃった」とか「隣の天ぷらそば食った」とか、あそこはいくらでもおもしろくできるんでしょうけど、下手すりゃお客さんが疲れちゃう。(中略)つまり、大きな山が一つでちょうどいいのに「おもしろいけど、こっからさらにもう一山か」と思われたら嫌なので、「船徳」は前半を削るわけです。

とあります。

私も「船徳」は好きな噺ですが、前半の若い衆のくだりは何度も聴いているとちょっと飽きがきて「早く四万六千日(後半のスタート部分のセリフ)こないかなぁ。」って思ってました。

ベースとしては古くからの形がしっかりとあった上で、面白さや盛り上がりを考えた時、あえて演出を削るという監督的視点。落語家さんにとってはその辺も演じる上での面白みなのでしょう。

立川生志師匠の部分では「紺屋高尾」について言及されています。いくらお大尽を装っても、藍染めの職人久蔵の指先は染まっているはず。花魁はその正体を気づかないはずがないとのこと。

藍に染まった指を見て花魁が久蔵の正体に気づきつつも、いかにしてうまくストーリーを展開していくか、「紺屋高尾」としてまとめていくか。

その辺の部分についての工夫なども、おそらく苦労があったはずでしょうが、しっくりくる着地点をこだわってつくられています。

思えば、今まででも全体の噺が長いため途中や後半部分の面白いところだけで独立した噺も有ります(「貝野村」から「手水廻し」など)。

また、少し改作するだけで全然違った面白さになる噺も。柳家喬太郎師匠の「まんじゅうこわい」とその改作。聴き比べてみると展開のしかたでこうも変わるかと唸らされます。

先人の作り上げてきた良い部分や芯となる空気感は引き継ぎつつも、今を生きる落語家さんたちによって時代に合わせた変化で噺はどんどんアップグレードされていくことでしょう。

バカバカしい落語の世界にいかにリアリティを持たせるか

立川談志師匠の話や文章などにもありますが、いかにリアリティを持たせるか。

落語の世界は基本ナンセンスでバカバカしいことばかりですが、お客さんに「ウソくさい」と感じられてはダメ。非常識なんだけれども、それがそれとして成立するリアリティと説得力が必要です。

ほんの一言で、噺の世界が成立することもあれば破綻することもある。自らの口でその世界を創造する落語家さんたち。噺を自分のものにして世界観を創りあげなければなりません。

それを成立させる、先人の知恵、そして各落語家さんたちの創意工夫があってこそ、今も落語という話芸が支持されているのです。

本書のおかげで、人気のある落語家さんの芸のバックグラウンドには、その師匠のセンスや経験、技量などとともに深い考えがあった上での魅力であることがよくわかりました。

今をときめく、人気のある落語家さんの頭の中が見れたようでかなり、また一つ落語の面白さに触れられた様な気がします。

桃月庵白酒「一日が終わってほっとする時に聴いて、そのまんま寝て」

「十八番の噺」でちょっと嬉しかったのが桃月庵白酒師匠の冒頭部分。

落語で特に好きなところと言ったら、基本、平和なところですよね。もちろん江戸とか明治の昔というのは暮らし向きは大変なんだろうけど、みんな「どうにかなんだろう」と思っていて、本当にきつかったらそれをシャレでごまかしちゃう、という。(中略)もう一つ思うのは、あまり肩の凝るようなのは好きじゃないな、ということですよ。一日が終わってほっとするときに聴いて、そのまんま寝て、というような。アキ・カウリスマキの映画のあれと一緒ですよ。「一生懸命働いた人が、うちに帰ってほっとする時に喜ぶような、価値ある最大で最小の娯楽」。それですかね。あんまり寝る前に(三遊亭)圓生師匠の「圓生百席」は聴かない(笑)。

私も桃月庵白酒師匠が述べられているのと同じ部分で落語が好き。基本、平和な世界だからこそ、一日の終わり、布団に入ってほっとした時間に聴きながら眠りにつきたいですし、どちらかというと圓生師匠は敬遠する(笑)

今まで、落語を聴きながら眠りにつくって落語家さんにわるいかなって気もしていましたが、プロの桃月庵白酒師匠にこう言ってもらえるのはほっとします。

寝る前に落語を聴く魅力の記事もどうぞ>>【おすすめの噺5選】寝る前に落語を聴く魅力とは